釜石郵便局では正月返上で郵便の滞貨を解消へ(S39.1.11岩手東海新聞)
1964年1月11日
2026年1月11日
昭和39年1月11日の岩手東海新聞は、釜石郵便局が直面した異例の正月風景を伝えています。当時の日本は高度経済成長の真っ只中にありましたが、郵政現場では全逓による非常に戦闘的な超勤拒否闘争が繰り広げられていました。この実力行使は年末から全国的に波及し、一時は小包の受け付け制限を余儀なくされるほど郵便物が滞留する事態となりました。
元旦以来、釜石郵便局には五月雨式に郵便物が届き続け、その数は年賀ハガキだけでも65万通を超えていました。本来であれば職員が担うべき深夜や早朝の仕分け作業が組合の闘争により機能しない中、現場の指揮を執ったのが石山和一局長と柴谷富雄郵便課長でした。両名は管理職として事態の収拾にあたり、空前ともいえる規模で大量のアルバイト要員を動員して、山積した郵便物の山に立ち向かいました。
不慣れなアルバイトを抱えながらの作業は困難を極めたはずですが、10日間におよぶ不眠不休の努力の結果、1月10日になってようやく滞貨は解消へと向かいました。記事の中で柴谷郵便課長は、郵政の世界に入って以来これほどまでに正月のない年を過ごしたのは初めてだと語っており、その言葉からは当時の現場に漂っていた尋常ならざる緊張感が伝わってきます。
石山局長と柴谷課長は、市民に対して多大な不便をかけたことを深く陳謝すると同時に、混乱の中でも寄せられた多くの激励の声に感謝の意を示しています。労働運動が激化し社会が大きく揺れ動いていた時代、市民の便りを守るために正月を返上して奔走した責任者たちの姿が、この1枚の古い新聞紙面に刻まれています。