厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日)
1965年10月13日
2022年5月8日
昭和40年10月13日の岩手日報より。
盛岡駅の隣である厨川駅は、東側にしか駅舎はなく、西側に住む人は2キロ以上遠回りしなければいけなかった。
この年、都市化が進んで住宅や工場も増え、西口の需要は高まっていた。
その上、昭和45年には岩手国体も予定されており、県営陸上競技場が観武地区にできると言う時期だったのである。
これに対し、盛鉄局は「利用者が多くなければ…」と渋っている状況だった。
国鉄の基準では、裏口を設置する場合は、年間の利用者が1,500,000人以上なければならないとされていた。
国鉄の基準では、裏口を設置する場合は、年間の利用者が1,500,000人以上なければならないとされていた。
ところが、厨川駅の場合は34〜35万人位しかいないのだと言う。
また、裏口を設置すれば駅員を2〜3名配置しなければならないと言うこともネックであった。
市民としては、もし裏口を廃止するのが難しいのであれば、せめて歩道橋だけでも設置してもらえないかと考えていた。