盛岡市内の各中等学校の志願者減る(S5.3.2岩手日報)
1930年3月2日
2025年8月2日
昭和5年3月2日の岩手日報から、盛岡市内の中等学校における入学志願者の動向を伝える記事を紹介する。
この年、盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)など市内各中等学校では、志願者が前年に比べて減少していた。例年であれば、上級学校への進学を目指す少年たちが胸を高鳴らせる季節だが、この年の3月はやや様子が違っていた。
背景には、経済的事情や社会情勢の変化があったと見られる。とくに注目されたのが、「中学校卒業者の就職率が悪化している」という事実である。中学校に進んでも、卒業後に望ましい職を得られない状況が広がっており、そうした現実を見据えた家庭では、より実用的な技術や資格が得られる実業学校への進学を選ぶケースが増えていた。
また記事では、家庭側、特に「父兄の側で差し控えさせる」といった表現も見られ、保護者の判断で中学校への進学を見送る傾向があることが示唆されている。家計や将来性を勘案した結果としての選択だったのかもしれない。
締切間際には一時的に出願が集中する例もあったが、全体としては志願者の「明らかな漸減」がみられたと記されている。
このように、昭和初期の社会状況は、教育の現場にも大きく影を落としていたことがうかがえる。中学校進学が必ずしも「安定への道」ではないと見なされ始めた時代の空気が、紙面からは伝わってくる。