金田一村の両親殺し事件(S9.3.30)
昭和9年(1934年)3月30日未明、岩手県二戸郡金田一村(現・岩手県二戸市金田一)の農家で殺人事件が発生しました。事件現場は金田一村大字野々上字潰谷地にある一軒家で、山間部に位置し、交通の便が非常に悪い場所でした。
事件当夜、家主(当時49歳)とその妻(当時46歳)が殺害されました。長女(当時20歳)は、隣室から悲鳴を聞いて目を覚まし、襖の隙間から覆面をした男が継母を襲う様子を目撃しました。恐怖のあまり一旦逃げ出し、近隣住民に助けを求めましたが、戻った時には家主はすでに死亡、継母も重傷で倒れており、その後死亡しました。
警察の現場検証では、被害者たちは斧のような鋭利な凶器で頭部を何度も攻撃されていたことが判明。侵入経路は台所の入口と推定され、現場の保存状態が悪かったため証拠採取は困難でした。しかし、財物が盗まれた形跡がないことや、家族の一部が無傷であったことから、犯行は怨恨によるものと考えられました。
捜査の結果、長男(当時28歳)が第一容疑者として浮上。彼は青森県三戸郡三戸町に居住しており、継母との不和や父親との財産争いを抱えていたことが動機とされました。さらに、長男は複数の共犯者と共に犯行を計画し、実行したことが明らかになりました。
昭和9年3月29日夜、共犯者らは覆面をして家に侵入し、寝ている被害者たちを斧と棍棒で襲撃しました。犯行後、凶器を隠蔽しようとしましたが、後にこれが発見され、逮捕につながりました。犯行の計画には報酬の約束も含まれており、実行犯と支援者を巻き込む組織的なものだったことが分かりました。
昭和9年12月、盛岡地方裁判所は主犯に死刑、共犯者らには無期懲役や懲役10年の判決を言い渡しました。その後、控訴や上告を経ても判決は覆らず、確定しました。
この事件は、家庭内の不和と財産争いが原因で発生した計画的かつ残虐なもので、当時の地域社会に大きな衝撃を与えました。