朝香宮殿下が盛岡市内の軍需工場を御視察(S14.7.3新岩手日報)
1939年7月3日
2026年2月4日
昭和14年7月3日の新岩手日報が伝える光景は、戦時下の熱気に包まれた盛岡の姿を鮮明に描き出しています。この記事の主役は、軍人皇族として知られる朝香宮鳩彦王殿下です。

明治天皇の女婿であり陸軍大将の要職にあった殿下は、軍需工業や軍人援護事業の視察を目的に岩手県を訪れました。前夜には花巻温泉の松雲閣に宿泊されており、その格式高い滞在の様子からは当時の皇族奉迎の重みが伝わってきます。
明けて7月4日、殿下の視察先となったのは盛岡の産業を支える3つの拠点でした。まず中心となった岩手鉄工所は、資本金60万円という当時としては破格の規模を誇り、各種機械だけでなく精密な試験機器まで製造する技術の殿堂でした。続いて視察された照亦盛岡鉄工所は、現在の肴町にあたる餌差小路の鋳物工場から機械部門を分離し、上名須川町で90名の従業員とともに躍進を遂げていた気鋭の工場です。そして、組合の第2共同施設として軍需品生産を担っていた高松工場も、66名の従業員が殿下を仰ぎ見る中でその使命を確認しました。
これらの記録からは、かつての盛岡が単なる地方都市ではなく、日本の産業と軍需を支える重要な工業都市としての顔を持っていたことが分かります。朝香宮殿下という、後に東京都庭園美術館となる麗しい旧宮邸を築いたことでも知られる洗練された人物が、この地で鉄の匂いと機械の音に包まれていた事実は、郷土史における非常に興味深い一幕といえるでしょう。