普通選挙法下初めての国政選挙(S3.2.20岩手日報)
昭和3年2月20日、日本は憲政史上かつてない大きな転換点を迎えていました。1928年2月20日の岩手日報の紙面を飾るのは、日本で初めて納税額による制限が撤廃された普通選挙が実施された日の記録です。それまでの選挙権は直接国税3円以上を納める一部の男子のみに許された特権でした。当時の3円という金額は、現在の価値に換算するとおよそ5,000円から6,000円程度に相当します。金額そのものは決して手の届かない大金ではないように見えますが、当時は所得税の免税点が高く、この額を納められるのは全人口の1割から2割程度の資産層に限られていました。つまり、この3円という納税能力の有無が、国民を政治に参加できる者とできない者に分ける高く厚い壁となっていたのです。

大正デモクラシーの激しい潮流を経て1925年に成立した普通選挙法は、この経済的な壁を打ち破り、25歳以上のすべての男子に参政権を広げました。この日、有権者数は全国で一気に4倍の約1,240万人へと膨れ上がり、まさに国民が主役となる政治の幕が開けました。紙面には「永久に記念すべきこの日」という巨大な見出しが躍り、この選挙が単なる政治行事ではなく、歴史に刻まれるべき大事件であったことが強調されています。県内各地での激戦を伝える記事の傍ら、盛岡市民の注目を集めたのは、前年の昭和2年に完成したばかりの最新鋭の建築物である岩手県公会堂でした。当時の盛岡において最もモダンで重厚なこの建物が投票所として選ばれたことは、新しい時代の夜明けを象徴するにふさわしい光景でした。
右下の写真に写る、正装して公会堂の門をくぐる有権者たちの背中からは、初めて手にした一票の重みを噛みしめ、国家の行方を自らの手に委ねられたという誇りと緊張感が漂っています。当時の田中義一内閣率いる立憲政友会と、対する立憲民政党による激しい2大政党の対立は、岩手の各選挙区においても火花を散らす戦いとなりました。紙面上段に並ぶ候補者たちの肖像は、いずれも地元の期待を背負った錚々たる顔ぶれであり、それぞれの記事からは買収や干渉を排して正々堂々と一票を投じようとする当時の強い社会の意志も読み取れます。しかし、この大きな一歩の先に待っていたのは、軍国主義の台頭により再び自由な声が封じられていく厳しい時代でもありました。この岩手日報の紙面は、先人たちがどれほどの渇望と情熱を持って、3円という壁を越え「誰もが平等に政治に参加できる権利」を勝ち取ったのかを、100年近い時を超えて私たちに静かに、しかし力強く語りかけています。
