大船渡線全通(S10.9.30岩手日報)

【昭和の記憶】1935年、大船渡線ついに全通!「晴天に轟く讃歌」に沸いたあの日

こんにちは。今日は、郷土の歴史を物語る大変貴重な資料をご紹介します。

Screenshot

今から約90年前の昭和10年(1935年)9月30日付の「岩手日報」。そこには、前日の9月29日に大船渡線の「大船渡〜盛」間が開通し、ついに全線開通を迎えた喜びが、紙面いっぱいに躍っています。


■ 悲願の全通、街は「空前の賑わい」

紙面の大きな見出しには、「晴天に轟く讃歌 きのふ大船渡線全通式」の文字。記事によると、当日は雲ひとつない秋晴れの中、盛町を中心に盛大な式典が挙行されたようです。

当時の見出しを拾ってみると、その熱量が凄まじいことがわかります。

  • 「処女列車到着 さかり空前の賑ひ」
  • 「熱狂の大祝宴 湧き立つ余興数々」
  • 「町民の熱狂 当然の事」

「処女列車(一番列車)」が到着した際の盛町の盛り上がりは、沿道が人で埋め尽くされるほどだったと記されています。

■ 「港の町」と「政治経済の町」が繋がった日

Screenshot

ここで興味深いのは、当時の自治体の姿です。現在、大船渡駅も盛駅も同じ「大船渡市」にありますが、昭和27年の市制施行までは、この二つの駅は全く別の町でした。

大船渡町:古くからの港町として栄えた漁業・物流の拠点。

盛町:気仙郡の役所や警察署が集まる、政治・経済・教育の中心地。

性格の異なる二つの町が鉄道という「鉄の道」で結ばれ、さらに一ノ関まで一本の線路で繋がったことは、当時の人々にとってまさに「新しい時代の幕開け」だったのでしょう。

■ 写真が語る当時の風景

掲載されている写真(グラフィック面)には、装飾された奉祝門や、多くの日の丸が振られる様子が写し出されています。当時の「フラグ(旗)掲出」や「渡船(渡線)開始」といった文字からも、地域を挙げたお祭り騒ぎだったことが伺えます。

現在、大船渡線の一部区間はBRTへと姿を変えていますが、この昭和10年の全通が、地域の発展に果たした役割の大きさは計り知れません。

古い新聞をめくると、今の私たちの暮らしが、当時の人々の情熱と悲願の上に成り立っていることを改めて実感します。みなさんも、地元の駅の「一番最初の日」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です