県農政部に飼料緊急対策室設置(S49.10.1)

【記録】昭和49年「畜産危機」の激震―飼料高騰と肉牛暴落が招いた悲劇―

昭和48年から49年にかけて、日本の畜産業は「崩壊」の淵に立たされていました。手元の古い資料には、国際情勢に翻弄された農家の苦悩と、行政が異例の即応を見せた生々しい記録が残されています。

1. 砂上の楼閣だった「輸入依存」

高度経済成長期、日本の畜産は海外からの安い穀物(配合飼料)に依存することで規模を拡大してきました。しかし、世界的な穀物不作と米国による輸出制限が、その足元を直撃します。

  • 飼料価格の暴騰:昭和48年1月にトン当たり3万200円だった価格は、翌年3月には4万800円、9月には6万100円と2倍近くに跳ね上がりました。
  • 肉牛相場の暴落:一方で肉の価格は冷え込み、1kgあたり数千円の急落。子牛価格もピーク時の半値近くまで落ち込みました。

「エサ代は上がるが、肉は売れない」。農家は出口のない「逆ザヤ」の地獄へ突き落とされたのです。

2. 現場の惨状と、ある「死」の記録

この経済的打撃は、単なる数字の悪化に留まりませんでした。資料には、岩手県内でも特に深刻だった状況が記されています。

北上山地の下閉伊郡岩泉町で、この肉牛経営危機に耐えられなかった若い経営者が自殺した。」

将来を嘱望された若者の命を奪うほど、現場の困窮は極限に達していました。小規模な零細農家は次々と離農を余儀なくされ、県内の飼養頭数は激減の一途をたどりました。

3. 動き出した組織―9.25から10.1へ

この未曾有の危機に対し、ついに組織的な対抗措置が取られます。

■昭和49年9月25日:全国大会の決起

東京にて「畜産緊急対策全国農協長大会」が開催。全国の生産者の怒りと悲鳴が政府へと突きつけられました。価格安定対策や資金繰り支援を求める、背水の陣での訴えでした。

■昭和49年10月1日:岩手県「飼料緊急対策室」設置

全国大会からわずか6日後、岩手県は実働部隊として農政部内に「飼料緊急対策室」を電撃設置しました。特筆すべきはその布陣です。

役職 氏名
室長 小関佐一(農政部次長)

農政部のナンバー2である次長をトップに据えたこの組織は、現場の混乱を鎮め、即断即決で対策を実行するための県庁の強い決意の表れでした。

4. 突きつけられた「自給」への反省

対策室の急務は、目先の補助金だけではありませんでした。資料の末尾には、これまでの農政に対する痛烈な自己批判が含まれています。

「最も肝心な飼料の自給足踏みなど基盤を忘れ、その場しのぎの施策が多かった……」

この反省から、稲わらの徹底回収や未利用地の活用といった「自給飼料の確保」という、地に足のついた構造改革への模索が始まったのです。

【編注】 50年前のこの危機は、現在の私たちが直面する飼料・エネルギー高騰の問題と驚くほど重なります。先人たちが命がけで繋いだ日本の畜産。その歴史を知ることは、食の未来を守る第一歩かもしれません。

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