i一関・西磐井郡 4 9月 1963 一関市内の銭湯が入浴料を18円→24円に値上げさせてほしいと要望(昭和38年9月4日) 昭和38年9月4日の岩手報知より。 一関市内の銭湯は、燃料費や人件費の高騰から入浴料を大人18円から24円に値上げさせてほしいと一関市に要望した。 それまでは、大人18円、中人14円、小人7円、洗髪10円であったが、経営が成り立たないので大人24円程度に値上げしてほしいというものであった。 値上げ問… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1963 釜石の市議会選挙を前に(S38.7.1岩手東海新聞) 昭和38年7月1日発行の岩手東海新聞を紐解くと、そこには高度経済成長期の熱気に沸く釜石の生々しい人間模様が記録されています。この記事の主役は、当時の釜石の心臓部とも言える只越から港町にかけての界隈です。紙面を覆うのは市議選を目前に控えた異様な緊張感であり、記者はそれを争奪戦や戦いという言葉で表現して… 続きを読む
l全県 18 4月 1963 岩手県知事に千田正(S38.4.18岩手日報) 【岩手現代史の転換点】昭和38年4月18日、激戦の知事選を振り返る こんにちは。今回は、約60年前の「岩手日報」の1面から、岩手の政治史に刻まれた伝説の一日を紐解いてみようと思います。 1. 「1万4,000票差」の衝撃!約70万票が投じられた激戦 昭和38年(1963年)4月18日のトップニュース… 続きを読む
l全県 3 4月 1963 岩手県知事選は全国に先駆けて記号式投票で(昭和38年4月3日) 昭和38年4月3日の岩手日報より。 4月17日に予定されていた岩手県知事選挙は立候補の届け出が4月2日の午後5時で締め切られることとなり、候補者は2人となった。 この選挙は、希望色の投票で行われることになり、全国の知事選挙でははじめてのケースとなった。 これが成功すれば、将来的には国会議員選挙でも希… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1962 新しい盛岡市役所の新庁舎では民生部の窓口で全て用がたせますよ!(昭和37年11月1日) 昭和37年11月1日の河北新報より。 「盛岡新庁舎拝見」というシリーズものの記事の第6回目。 民生部の窓口は、市民本位に立って全て用がたせるようにしたのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 9月 1962 平泉町で一関市との合併について大衆討論会(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 平泉町商工振興会では、9月10日から15日の間に、一関市と平泉町合併問題に関して大衆討論会を開く準備を進めていると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 2月 1962 県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日) 昭和37年2月5日の岩手民声新聞より。 前年来、本館建設など江刺唯一の総合病院として施設の充実を進めている県立江刺病院に、最新式のレントゲン撮影機1台と、胃を調べるガストロカメラ2台が導入されることになった。 レントゲンは島津製作所製で、購入額も2,800,000円と、旧式の2倍以上するものである。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 19 12月 1961 江刺市にも市営バス計画があった(昭和36年12月19日) 昭和36年12月20日の胆江日日新聞より。 12月19日に行われた江刺市議会では、市営バス計画に関して質問が出たようである。 市長はこれに対し「江刺市にとってバスは唯一の交通機関。そのバスが争議行為などで運行が中止されることの無いよう、全国の市営バスについて調査したい」と回答した。 &… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1961 種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日) 昭和36年12月6日のデーリー東北より。 種市町内の種市中学校、角ノ浜中学校、平内中学校を統合する話は、昭和32年から持ち上がっていた。 しかし、角の浜、平内の角学では、経済的負担が重くなるので反対しており実現できなかった。 ところが、その頃入学生等が増加し、学校修繕費がかかり、収容が困難でどうして… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 24 11月 1961 金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 23 11月 1961 地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 21 11月 1961 前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 11月 1961 水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。 そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 7月 1961 釜石市の財政は釜石製鉄所しだい(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石市の予算当局は、地方交付税の査定のため盛岡の県庁に出ていた。 地方交付税は、合併(S30.4.1甲子村、鵜住居村、栗橋村、唐丹村)による特例期間が切れて不交付団体になるが、全国市議会議長会や全国市長会の折衝で激変緩和措置が取られることとなった。 それ以上… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 7月 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 4月 1961 「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日) 昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 釜石の八雲小学校は「通学路のない学校」と言われていた。 雨が降ると学校の裏の下水があふれだし、学校の前に汚水があふれるという非常に不衛生な状態となっていた。 そこで、八雲小学校の父兄が通学路となる道に土俵を並べて通学路とすることにした。 釜石市でも中妻地区の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 1月 1961 釜石市営火葬場で待合室難(昭和36年1月12日) 昭和36年1月12日の岩手東海新聞より。 釜石市大只越にある釜石市火葬場では、火葬の際の会葬者が多くなっており、3件、4件と火葬があった場合、待合室が非常に混雑している。 この時代を重く見た釜石市衛生課では、会葬者をある程度限定してもらうことを市民に呼びかける一方で、待合室を区切る計画を進めている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1961 鉄の町・釜石の空気中の塵を電流で調査する新兵器(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 鉄の都・釜石市では、交流式電気集塵機を購入した。 この集塵機によって、浮遊煤塵の調査を行うのだと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 9月 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 チリ地震津波後初めての防災の日(S35.9.1岩手東海新聞) この年の5月24日、チリ地震津波が襲来。 関東大震災から37年目の「防災の日」は、津波被害を改めて考える年となった。 それで、釜石市などの防災担当者に、津波対策を聞いている。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 5月 1960 山田町合併5周年(昭和35年5月1日) 昭和35年5月1日の岩手東海新聞より。 山田町は昭和30年に昭和の大合併で山田町・織笠村・大沢村・船越村・豊間根村の1町4村を合併して発足した。 それで、5月1〜3日に祝賀会が開催された。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 3月 1960 新宮様ご誕生に県南の市町村も祝賀広告(昭和35年3月3日) 昭和35年3月3日の岩手日報より。 この年の2月23日に徳仁様が御誕生された。 これを祝福して、県南の市町村が岩手日報に広告を出したのである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1960 大槌町で公営住宅工事進む(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 大槌町蟇川原の公営住宅の工事が進んでいるという。 というか蟇川原ってどこ? ・・・と思ったら、大槌町第21地割という、大槌川の河口の安渡側だったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 8月 1959 山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) 昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 8月 1959 「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日) 昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石市教育委員会では、釜石市立図書館で定例委員会を開催した。 マンモス化している釜石一中を二分して18学級程度の中学校にする。 尾崎中学校と平田中学校を合併して新設中学校を設立する。 これに関しては、文部省からも近日技官が来て調査するということであった。 &… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) 昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 5月 1959 釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石選挙区から選出の石川県議(自民党)は、盛岡鉄道管理局を訪れ「ディーゼルカーを早期運行してほしい。遅くとも5月末から」と要請した。 盛鉄局によれば、「宮古市の利用債引き受けが可能であれば、釜石始発は花巻経由で盛岡へ、盛岡始発は山田線経由で釜石泊まりになるよ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 5月 1959 釜石市内の住所を「大字釜石第○地割」から「○○町○丁目」に変更したい(昭和34年5月20日) 昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 それまで、釜石市内の住所は「釜石市大字釜石第○地割」であった。 これを、「○○町○丁目」という実用的なものにしたいと、釜石市に町名整備委員会ができた。 町名を新しくするとして「只越町」「大渡町」の境界をどこにするか。 青葉通りを境にすべきか、中劇通りを境にす… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11 4月 1959 一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日) 昭和34年4月11日の岩手報知より。 前日、皇太子殿下のご成婚があり、全国挙げての祝賀ムードだった。 しかし、一関市は特段の祝賀行事は行わなかったようである。 岩手報知新聞はこのことに対し、以下のように憤りを隠さない筆鋒で批判する。 ところで一関市の場合は慶祝的な行事は華道展位なものでその他は商魂た… 続きを読む