e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 4日 1965 大槌町赤浜にオットセイ研究所(昭和40年3月4日) 昭和40年3月4日の岩手東海新聞より。 大槌町赤浜にオットセイ研究所が完成した。 これは、大槌町の予算で建設し、水産庁東海区水産研究所に貸し与えたもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1965 釜石・大平公民館が近日完成(昭和40年3月1日) 昭和40年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石の大平公民館が3月7日に竣工するという。 大平というと、釜石駅の南側の釜石大観音がある方だが、こちらの方にも社宅が並んでいたらしい。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 16日 1965 江刺市内で舗装道路は水沢に行く県道だけ(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 「まちの真空地帯」というシリーズものの記事で、10回目のこの回では江刺市を取り上げている。 昭和33年11月に市制してすでに6年となっていたが、舗装した道路はといえば水沢に抜ける県道だけで、それ以外が全部舗装していなかったというのである。 このため、市内の川原町… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 8日 1964 新しい県庁がお目見え 昭和39年12月8日の岩手日報より。 新しい県庁舎は、着工から丸2年が経過したが、外観工事はほぼ終わり、翌昭和40年3月には完工する見込みであるという。 工事を請け負った鹿島建設によれば「建物は87%、暖房は76%、エレベーターは72%、電気関係は63%が終わっている」という。 完成すれば東北一の建… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 20日 1964 松尾鉱山の新しい住居表示(昭和39年3月20日) 岩手郡松尾村でも昭和39年4月1日から「住居表示に関する法律」(昭和37年5月10日法律第119号)に基づいた住居表示を行うようになるということで、村の広報まつお昭和39年3月20日号で広く周知することに。 この広報自体は「松尾鉱山資料館」で売っていたような気がする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 5日 1964 釜石の人口が減って8万人台になります!(昭和39年2月5日) 昭和39年2月5日の岩手東海新聞より。 東海製鉄への転出の影響で、釜石市の人口が8万人台に減るという。 それは大ニュースであった。 … 続きを読む
hスポーツ 12月 9日 1963 一関市民の反対の中、青葉町に市民プール着工を強行(S38.12.9岩手報知) 磐井川に面した一関市青葉町に市民プールを着工すると言うので、市民も市議会の文教委員会も大反対。 しかし着工してしまったという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 選挙に出ると自己負担が大変(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 一関市議会議員の選挙を変えようとしていても、気になる公的な補助は大した額ではなく、多くの候補が500,000円から700,000円の持ち出しが噂されていた。 貧乏では、選挙にも出られないわけである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 選挙続きで一関の料飲店は閑古鳥(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 一関市内では、選挙が続いており、忘年会シーズンであるにもかかわらず、予約はほとんど皆無に等しいと言う状況であった。 多くの選挙違反は、飲食店の中で行われると言うことで、痛くもない腹を探られるたいと言うことだったのだろう。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 10日 1963 県道127号?米里-小友線の改修を県に陳情(昭和38年9月10日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市米里と遠野市小友を結ぶ県道127号米里-小友線は、岩手県南と沿岸を結ぶ重要な道路であった。 そこで、水沢・江刺・遠野・釜石の4市長の署名を持って、江刺市役所の関係者が盛岡に出て県庁に改修のための陳情書を手渡したのである。 ただし、どのように改修の必要な… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 7日 1963 一関市では乳幼児の国保10割給付で乳幼児の死亡減少(昭和38年9月7日) 昭和38年9月7日の岩手報知より。 一関市では国民健康保険の新しい措置として、4月1日から生まれて6ヶ月以内の乳幼児の保険を全額負担とすることにした。 それから6ヶ月が経とうとしているが、乳幼児の死亡率が見事に減少しているという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 4日 1963 一関市内の銭湯が入浴料を18円→24円に値上げさせてほしいと要望(昭和38年9月4日) 昭和38年9月4日の岩手報知より。 一関市内の銭湯は、燃料費や人件費の高騰から入浴料を大人18円から24円に値上げさせてほしいと一関市に要望した。 それまでは、大人18円、中人14円、小人7円、洗髪10円であったが、経営が成り立たないので大人24円程度に値上げしてほしいというものであった。 値上げ問… 続きを読む
l全県 4月 3日 1963 岩手県知事選は全国に先駆けて記号式投票で(昭和38年4月3日) 昭和38年4月3日の岩手日報より。 4月17日に予定されていた岩手県知事選挙は立候補の届け出が4月2日の午後5時で締め切られることとなり、候補者は2人となった。 この選挙は、希望色の投票で行われることになり、全国の知事選挙でははじめてのケースとなった。 これが成功すれば、将来的には国会議員選挙でも希… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1962 新しい盛岡市役所の新庁舎では民生部の窓口で全て用がたせますよ!(昭和37年11月1日) 昭和37年11月1日の河北新報より。 「盛岡新庁舎拝見」というシリーズものの記事の第6回目。 民生部の窓口は、市民本位に立って全て用がたせるようにしたのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 5日 1962 平泉町で一関市との合併について大衆討論会(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 平泉町商工振興会では、9月10日から15日の間に、一関市と平泉町合併問題に関して大衆討論会を開く準備を進めていると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 3日 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 5日 1962 県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日) 昭和37年2月5日の岩手民声新聞より。 前年来、本館建設など江刺唯一の総合病院として施設の充実を進めている県立江刺病院に、最新式のレントゲン撮影機1台と、胃を調べるガストロカメラ2台が導入されることになった。 レントゲンは島津製作所製で、購入額も2,800,000円と、旧式の2倍以上するものである。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 19日 1961 江刺市にも市営バス計画があった(昭和36年12月19日) 昭和36年12月20日の胆江日日新聞より。 12月19日に行われた江刺市議会では、市営バス計画に関して質問が出たようである。 市長はこれに対し「江刺市にとってバスは唯一の交通機関。そのバスが争議行為などで運行が中止されることの無いよう、全国の市営バスについて調査したい」と回答した。 &… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 6日 1961 種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日) 昭和36年12月6日のデーリー東北より。 種市町内の種市中学校、角ノ浜中学校、平内中学校を統合する話は、昭和32年から持ち上がっていた。 しかし、角の浜、平内の角学では、経済的負担が重くなるので反対しており実現できなかった。 ところが、その頃入学生等が増加し、学校修繕費がかかり、収容が困難でどうして… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 24日 1961 金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 23日 1961 地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 21日 1961 前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 15日 1961 水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。 そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 25日 1961 釜石市の財政は釜石製鉄所しだい(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石市の予算当局は、地方交付税の査定のため盛岡の県庁に出ていた。 地方交付税は、合併(S30.4.1甲子村、鵜住居村、栗橋村、唐丹村)による特例期間が切れて不交付団体になるが、全国市議会議長会や全国市長会の折衝で激変緩和措置が取られることとなった。 それ以上… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 22日 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 29日 1961 「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日) 昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 釜石の八雲小学校は「通学路のない学校」と言われていた。 雨が降ると学校の裏の下水があふれだし、学校の前に汚水があふれるという非常に不衛生な状態となっていた。 そこで、八雲小学校の父兄が通学路となる道に土俵を並べて通学路とすることにした。 釜石市でも中妻地区の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 12日 1961 釜石市営火葬場で待合室難(昭和36年1月12日) 昭和36年1月12日の岩手東海新聞より。 釜石市大只越にある釜石市火葬場では、火葬の際の会葬者が多くなっており、3件、4件と火葬があった場合、待合室が非常に混雑している。 この時代を重く見た釜石市衛生課では、会葬者をある程度限定してもらうことを市民に呼びかける一方で、待合室を区切る計画を進めている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1961 鉄の町・釜石の空気中の塵を電流で調査する新兵器(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 鉄の都・釜石市では、交流式電気集塵機を購入した。 この集塵機によって、浮遊煤塵の調査を行うのだと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む