e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1959 釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) 昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。 この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 5月 1959 釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石選挙区から選出の石川県議(自民党)は、盛岡鉄道管理局を訪れ「ディーゼルカーを早期運行してほしい。遅くとも5月末から」と要請した。 盛鉄局によれば、「宮古市の利用債引き受けが可能であれば、釜石始発は花巻経由で盛岡へ、盛岡始発は山田線経由で釜石泊まりになるよ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 5月 1959 釜石市内の住所を「大字釜石第○地割」から「○○町○丁目」に変更したい(昭和34年5月20日) 昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 それまで、釜石市内の住所は「釜石市大字釜石第○地割」であった。 これを、「○○町○丁目」という実用的なものにしたいと、釜石市に町名整備委員会ができた。 町名を新しくするとして「只越町」「大渡町」の境界をどこにするか。 青葉通りを境にすべきか、中劇通りを境にす… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 4月 1959 江刺在住の正田家で奉公したことがある女性が皇太子妃美智子さまを語る(昭和34年4月12日) 昭和34年4月12日の岩手民声新聞より。 このほどご成婚された皇太子妃美智子さまが正田家におられた頃、正田家で子守りをしていた女性が江刺市内に在住しているという。 それは江刺市玉里の亜炭鉱山で夫と3男1女と暮らしている36歳の女性。 宮城県生まれで、戦時中の19歳の時に兄の知人の世話で正田家に奉公す… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11 4月 1959 一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日) 昭和34年4月11日の岩手報知より。 前日、皇太子殿下のご成婚があり、全国挙げての祝賀ムードだった。 しかし、一関市は特段の祝賀行事は行わなかったようである。 岩手報知新聞はこのことに対し、以下のように憤りを隠さない筆鋒で批判する。 ところで一関市の場合は慶祝的な行事は華道展位なものでその他は商魂た… 続きを読む
i一関・西磐井郡 10 4月 1959 皇太子殿下ご成婚にあやかろうと4月10日は一関八幡神社では結婚式が10組も(昭和34年4月10日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 この年の4月10日には皇太子殿下のご成婚が予定されており、全国的に結婚ブームとなっていた。 一関でもその例にもれなかったようで、市内の一関八幡神社ではこの日に結婚式を予定しているのが10組、山目配志和神社では7組も申し込みがあった。 市内のデパートでも「ミッチー… 続きを読む
備考※1 10 4月 1959 【参考】皇太子殿下ご成婚(昭和34年4月10日) 中日ニュースより。 昭和34年4月10日、皇太子昭仁殿下と正田美智子さんが御結婚。 https://www.youtube.com/watch?v=4X2lSI7HhSs … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 4月 1959 皇太子殿下ご成婚記念に江刺市では植樹(昭和34年4月9日) 昭和34年4月12日の岩手民声新聞より。 皇太子殿下ご成婚を記念し、江刺市では市内伊手口沢の赤金鉱業所付近の市有地にアカマツ1,500本の植樹を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1959 皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) 昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 3月 1959 一関を蠅や蚊のいない市にしよう(昭和34年3月25日) 昭和34年3月25日の岩手報知より。 一関市では、昭和34年度の一大事業として蠅や蚊のいない市のするため、各民区に衛生班の結成を奨励することになった。 衛生班を結成したら、以下のような活動を想定しているという。 清潔法の実施 衛生思想普及幻灯会・映画会の開催 衛生講演会の開催 生活改善・模範衛生地区… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 3月 1959 釜石で尺貫法の廃止で要らなくなったマスやハカリの葬式(昭和34年3月24日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 前年の昭和33年12月31日をもって、尺貫法が廃止されメートル法が用いられるようになった。 そこで、それまでの尺貫法の枡や秤は要らなくなったので、送り彼岸である3月24日、釜石市内の石応寺でそれら枡や秤の葬式が行われ、これをメートル法のPRの機会と釜石市の… 続きを読む
l全県 4 3月 1959 警察が自らグロ書籍!?『岩手の重要犯罪』に批判(昭和34年3月4日) 昭和34年2月25日、岩手県警察本部から『岩手の重要犯罪』という書籍が出版された。 https://twitter.com/bunko_kai/status/1296353280625217543 見ての通りの本である。 表紙を開いて早々、目に入るのはこの写真。 当然のように批判が集まることになった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 12月 1958 盛岡・東宝第一劇場で「弥次喜多道中双六」「おめでとう皇太子さま」公開!(昭和33年12月14日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場では「弥次喜多道中双六」と「おめでとう皇太子さま」を12月14日に公開するという。 「弥次喜多道中双六」は昭和33年12月7日の公開で、弥次喜多が大井川を渡り京へ着くまでを描く。 また、「おめでとう皇太子さま」も昭和33年12月7日の… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1958 江刺市の市制に各社が祝賀広告(昭和33年11月3日) 昭和33年11月3日の岩手民声新聞より。 この日、江刺市が市制。 このため、県内各社が祝賀広告を出している。 ラジオ岩手が県内初の民放テレビ局となるのは翌年9月のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2 11月 1958 水沢競馬の一関市主催分の純益は87万円(昭和33年11月2日) 昭和33年11月2日の岩手報知より。 水沢競馬は一関市営でもやっていたようで、その純益は87万円であったという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 10 9月 1958 一関市の失対事業が労働大臣賞を受賞(S33.9.10岩手報知) 当時は、どこでも失業対策事業をやっていたようだが、一関市のそれは、その技術の高さから労働大臣賞を受賞したようだ。 … 続きを読む
j東磐井郡 7 9月 1958 東山村に岩手セメント工場が10月に落成(昭和33年9月7日) 昭和33年9月7日の岩手報知より。 この年の10月10日、東磐井郡東山村では岩手セメント工場の落成祝賀式を予定していた。 岩手セメント工場は、東北開発株式会社が20億円を投じて完成させた。 鉄筋コンクリートの工場では、300人の工員が日夜生産に励んでいると言う。 10月10日の落成式では、東北開発株… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1958 「全国第二の町」江刺町の鉄道計画(昭和33年7月26日) 昭和33年7月26日の岩手民声新聞より。 昭和30年に岩谷堂町を中心に江刺郡の町村を大同合併した江刺町は、人口5万を超え「全国第2の町」となっていた。 しかし、悲しいかな鉄道だけが無いのだ。 それで、工場誘致や総合開発でどれだけ悲哀を味わわされてきたことか。 それで、昭和15年には岩谷堂町・伊手村・… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 7月 1958 一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願… 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 6月 1958 一関市の人口59,295人(昭和33年6月30日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 6月末現在の一関市の世帯数は10,827世帯、人口は59,295人(男29,108人、女30,187人)であったという。 前月に比べ12世帯、169人の減少。 地区別の人口は以下の通りであったという。 一関・・・14,397人 山目・中里・・・17,796人 真滝… 続きを読む
l全県 20 5月 1958 にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 連載されている漫画「にたもの親子」では選挙について扱っている。 5月22日には第28回衆議院議員総選挙が予定されていた時期であった。 乞食のようなボロボロの男も投票所へ行く。 そして問わず語りにいわく「あたしが投票した人は正直でウソを言わぬ人」。 ・・・と思った… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 5月 1958 第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など 昭和33年5月20日に岩手日報に掲載佐された選挙広告より。 椎名悦三郎(自):後年まで知れた大物議員。水沢市出身。この選挙の翌年、岸内閣で官房長官となる。その後の池田内閣でも通産大臣や外務大臣を務める。 千葉七郎(社):東磐井郡千厩町出身。この選挙では落選するが、昭和38年の第30回衆議院選挙で当選… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1958 第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝 昭和33年5月18日の岩手日報より。 22日に投票日を控え、県選挙管理委員会では公明選挙を訴え、県公会堂の前でアドバルーンを上げることに。 また、記事では棄権を無くすように訴えている。 この頃から「選挙で何も変わりはしない」と斜に構えたニヒリストはいたようである。 また、「20」を「廿」で表記するの… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 17 5月 1958 鈴木善幸の選挙広告 昭和33年5月22日の第28回衆議院選挙に先立ち、5月17日の岩手日報に掲載された鈴木善幸の選挙広告。 当時の選挙区は、氏の出身地である下閉伊郡山田町も含めた岩手県の北半分が岩手1区であった。 鈴木善幸の初当選は、意外なことに昭和23年に社会党からの当選となっているのである。 当時はアイオン台風から… 続きを読む
b二戸・二戸郡 20 4月 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 久慈川の用水改良が6年越しに完成へ(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈川の用水改良工事は、岩手県の土地改良事業の中でも最大のプロジェクトと位置付けられていたが、その難工事が大詰めに達したという。 この工事の完成により、年間2,700石の増産が見込めるという。 ところで、この2,700石とは、現在の基準で言えばどのくらい?と… 続きを読む