e釜石・遠野・上閉伊郡 20 8月 1959 山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) 昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 19 8月 1959 釜石駅構内の貨車積み下ろし作業員急募(昭和34年8月17日) 昭和34年8月19日の岩手東海新聞より。 日通釜石支店と釜石公共職業安定所は、釜石駅構内で貨車積み下ろし作業をする作業員を募集するという。 賃金は日給400円であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 8月 1959 岩手軽便鉄道から50年(昭和34年8月17日) 昭和34年8月17日の岩手東海新聞より。 明治39年、釜石鉱山田中製鉄所を創設した横山久太郎は「大船渡鉄道よりも鉄の都・釜石を結べ」と力説した。 そして大正4年、岩手軽便鉄道は花巻~仙人峠間に開通した。 しかし、仙人峠がそれを遮っていた。 戦後・釜石・遠野・花巻の3市は釜石線全通期成同盟を結成させた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1959 釜石・小川温泉に旅館が開業!バスも4本あります!(昭和34年7月4日) 昭和34年7月4日の岩手東海新聞より。 釜石で唯一の温泉である小川温泉に旅館が開業。 バスも東前(当時の岩手東部バス釜石営業所)から1日4本走っていたようだ。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 7月 1959 「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日) 昭和34年7月1日の岩手民声新聞より。 「チベット」と呼ばれていた上門岡に、県南バスが通ることになった。 これが、岩谷堂〜稲瀬〜上門岡に至る9.2キロの路線。 開通式は、江刺市長、北上市長、県南バス社長、県南バス江刺営業所長長など多数が出席して行われた。 海外にあたっては、上門岡部落の50戸の住民が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 6月 1959 ディーゼル準急の運行を祝して盛岡の川徳デパートも広告を出す(昭和34年6月30日) 昭和34年6月30日の岩手東海新聞より。 盛岡〜釜石にディーゼル準急が運行開始したことに伴い、盛岡の川徳デパートが広告を出している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 6月 1959 釜石湾内遊覧船「ホワイトローズ号」運航中!(昭和34年6月27日) 昭和34年6月27日の岩手東海新聞より。 釜石湾を遊覧船が運行していたらしい。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) 昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 釜石で貨物船の外人船員がバーで時計を強奪(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この日の夜3時ごろ、釜石市内のバーで飲んでいた外人客が、バーテンから時計を強奪した。 通報で駆け付けた釜石署員に逮捕されたが、それは釜石港に出入りしていたリベリア船籍の貨物船の40歳の船員であった。 Betanko Policarpoという名前だということで… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 6月 1959 「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日) 昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この年の7月1日、初めてのディーゼルカーが走るということで、釜石市内ではそのディーゼルカーに摸したハリボテ等で市内を行進した。 ところで、写真は橋上市場の大渡町側だろうか。 右は釜石駅方向、左は甲子川の下流方向であると思われる。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 6月 1959 釜石市内のオートバイ店「50ccバイク48500円!」(昭和34年6月5日) 昭和34年6月5日の岩手東海新聞より。 釜石市内のモーターサイクル店では50ccバイクが48500円とな。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1959 釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) 昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。 この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 22 5月 1959 釜石線・山田線のディーゼルカーは環状化で(昭和34年5月22日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石選挙区から選出の石川県議(自民党)は、盛岡鉄道管理局を訪れ「ディーゼルカーを早期運行してほしい。遅くとも5月末から」と要請した。 盛鉄局によれば、「宮古市の利用債引き受けが可能であれば、釜石始発は花巻経由で盛岡へ、盛岡始発は山田線経由で釜石泊まりになるよ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 5月 1959 釜石の五ノ橋で岩手東部バスが危機一髪(昭和34年5月18日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 釜石駅を出て右手の中妻方面に行く際、最初にわたる橋は「五ノ橋」であるが、この五ノ橋でバスが危うく転落しそうになった。 5月18日の昼下がり、東前発小川社宅行きの岩手東部バスは、釜石市の中心部から住宅地の小川に向け、買い物帰りの親子連れ等30名を乗せて走ってい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1959 盛岡~釜石に運行予定のディーゼル準急車両が盛岡客貨車区に配属(昭和34年5月18日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 この年の7月には、盛岡~花巻~釜石にディーゼル準急が運行開始する予定であったが、そのディーゼル車両のうち1両が盛岡客貨車区に配属されたという。 釜石線のディーゼル準急は、上野~日光の準急「日光」や、盛岡~福島の準急「やまびこ」と同じキハ55形3両が充てられる… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 5月 1959 釜石港に石炭輸送のリベリア船が入港(昭和34年5月17日) 昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 製鉄所の高炉が盛んだった釜石港では外国船の出入りも盛んだったようで、リベリア船のアインド・スキイパー号がひときわ目立っていたという。 この船はアメリカ産の石炭を13,500トン積んでノーフォーク港から来たのだという。 5月17日に入港し、22日に出港とのこと… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 4月 1959 花泉駅の4月の収入目標は250万円(昭和34年4月1日) 昭和34年4月4日の岩手報知より。 東北本線花泉駅の旅客・貨物の4月の収入目標は250万円であるという。 その1日目にあたる4月1日は、73,000円であったという。旅客数は1,106人であったという。 4月は入学式、観桜会、修学旅行があり目標は楽に突破するであろうとみられていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 28 3月 1959 春の行楽シーズンに不定期急行「いわて」が運行します(昭和34年3月28日) 昭和34年3月28日の岩手報知より。 盛鉄局では、春の行楽シーズンである3月下旬~5月下旬に不定期急行の運転や客車の増結を行うという。 不定期急行「いわて」(上野~青森、常磐線経由)・・・・3/25~5/23まで運転。一ノ関への発着は下り青森行きが7:17着、7:26発。上り上野行きが11:22着、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 19 3月 1959 岩手県南バス一関営業所にエアサスペンションの新鋭バス(昭和34年3月19日) 昭和34年3月20日の岩手報知より。 岩手県南バスでは、最新型エアサスペンション(空気ばね)付きの新鋭バス11台を購入し、一関営業所に配車となった。 そして19日12時半から小中学校の児童生徒や観光協会関係者を招いて試乗会を行った。 「動揺が少なく、スピードが出れば出るほど乗り心地が満点であった」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 2月 1959 3月から花輪線に「やまびこ」より新型のディーゼルカー(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 3月から花輪線に「上がトビ色、下が濃いアイ色で、緑のサテンのカーテンの付いた」ディーゼルカーがお目見えするという。 このことで、花輪線は朝夕の通勤帯を除き全部がディーゼルカーになるという。 この記事では、当時盛岡~福島を走っていたキハ55準急「やまび… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 12月 1958 国鉄盛岡工場で新製材工場 国鉄の盛岡工場は、これまで二枚橋派出所(現在の花巻空港駅)にあった製材関係の工場を、盛岡駅裏の本場に移し、一部作業をすでに始めているという。 これは経営の合理化によるもので、客車の床などに使用するのだという。 国鉄盛岡工場は敷地の狭さが悩みであり、それで作業場がタコ足で分散していたところ、盛岡市の協… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 12月 1958 これがディーゼル準急に使われる「キハ55」だ!(昭和33年12月9日) 昭和33年12月9日の岩手日報より。 翌年から、盛岡〜福島に運行が予定されているディーゼル準急「くりこま」に使用されるキハ55というディーゼルカーが盛岡客貨車区に到着した。 クリーム色に赤い線というスマートな車体で、自動暖房装置が付いているという快適な車内である。 &nb… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1958 「全国第二の町」江刺町の鉄道計画(昭和33年7月26日) 昭和33年7月26日の岩手民声新聞より。 昭和30年に岩谷堂町を中心に江刺郡の町村を大同合併した江刺町は、人口5万を超え「全国第2の町」となっていた。 しかし、悲しいかな鉄道だけが無いのだ。 それで、工場誘致や総合開発でどれだけ悲哀を味わわされてきたことか。 それで、昭和15年には岩谷堂町・伊手村・… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 7月 1958 一関専門店会が抽選で飛行機で東京にご招待(昭和33年7月25日) 昭和33年7月25日の岩手報知より。 一関専門店会は、抽選で何時になるかわからないが仙台空港から飛行機で東京に招待すると言う。 一関なので、なんといっても空港は仙台空港が近いのだろう。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 7月 1958 一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 7月 1958 県南バス人事(昭和33年7月1日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 県南バスでは7月1日付で人事異動を行い、一関営業所長は水沢営業所長に、後任は大船渡営業所から来るという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 5月 1958 水沢女子高の教諭が関東以北で初めてのオランダミミナグサを発見(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 植物研究家でもある水沢女子高の教諭が、水沢警察署裏の北常盤踏切で「オランダミミナグサ」を発見したという。 このオランダミミナグサは、本来はヨーロッパにだけ生えている雑草であるところ、戦後は東京や横浜でも存在が確認されていた。 これは、戦後になってヨーロッパとの貿… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 26 4月 1958 花巻電鉄に新車導入 昭和33年4月26日の岩手日報では、「温泉郷結ぶ近代車」として、花巻電鉄に新車が導入されたことを報じている。 岩手日報(昭和33年4月26日)より 新たにお目見えしたのは、日本車両で製造されたのだという。 現在、花巻市材木町公園に保存されている「馬面電車」と違って、さほど幅の狭さは目立たない。 この… 続きを読む