m県外・参考 2月 9日 1956 仙台・長崎屋のカステラ(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 岩手版ではあるのだが広告欄は仙台ばかり。 これは仙台市東三番丁の長崎屋のカステラ。 個人的に汽車絵が可愛いので、Twitterアイコンにすることにした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 8日 1956 盛岡文化服装学園と久保学園高校が合同で針供養(昭和31年2月8日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 盛岡文化服装学院と久保学園高校は合同で「針供養」を行った。 会場となった盛岡文化服装学園の講堂では、祭壇が設けられ、和尚さんの読経で供養の儀式が行われた。 これが終わってから、音楽会を開催し楽しい1日を過ごしたと言う。 文化服装学園か久保高かわからないが、生… 続きを読む
m県外・参考 2月 7日 1956 仙台三越では旧正月の大売り出し(昭和31年2月7日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 岩手版とは言っても、河北新報なので広告欄は仙台のものとなっている。 仙台三越では、旧正月の大売り出しをやると言う。 旧正月が生活に根付いてるあたり、東北地方は同郷国であると言う印象が深い。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 6日 1956 釜石駅前に観光案内所が完成(昭和31年2月6日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 釜石観光協会では、釜石駅前に観光案内所を公費20万円で建築し、6日から店開きした。 事務所は広さ3坪で、釜石市の名産品を陳列して販売したり、観光地や旅館や事業所等の案内のために、専任の案内ガールが2名常駐しているのだと言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 5日 1956 水沢で雪の芸術祭(昭和31年2月5日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 水沢で恒例の雪の芸術祭は、荒天のために延期になっていたが、2月5日に開催されたという。 雪像のコンクールだったようで、この年1位になったのは南町子供会の「千秋楽」であったという。 2位は不断町の「機関車」、3位は大畑小路の「後藤寿庵像」、新小路の「金太郎のす… 続きを読む
g北上・和賀郡 2月 5日 1956 和賀地方では近年にない豪雪でバスが走れず馬ソリ出動(昭和31年2月5日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 それでなくとも湯田村や沢内村といった和賀郡西部は岩手県内で最も積雪のある地方であった。 ところがこの冬は、それに輪をかけた豪雪となり、湯田村川尻では5日現在で230cmと数十年ぶりの記録的な豪雪であったという。 これでは車は走れず、郵便配達人や警察官はスキー… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 30日 1956 盛岡日活で「江戸一寸の虫」「沙羅の花の峠」公開(昭和31年1月30日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡日活で「江戸一寸の虫」と「沙羅の花の峠」を公開する。 「江戸一寸の虫」は昭和30年10月25日公開で、三国連太郎や山形勲が出演。 「沙羅の花の峠」は昭和30年10月12日公開で、南田洋子や宍戸錠が出演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 29日 1956 盛岡・内丸座で「白い橋」「子供の眼」封切(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡の内丸座で松竹映画「白い橋」と「子供の眼」を封切するという。 いずれも東京での初公開は昭和31年1月15日。 「白い橋」は原作が石坂洋次郎で、佐田啓二や岸恵子の出演。 「子供の眼」は高峰秀子や高峰三枝子が出演。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 27日 1956 久慈映画案内(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 久慈市内には映画館が2館あったようで、その案内が掲載されている。 ちなみに、これが八戸だと、このくらい大きく扱ってくれる。… 続きを読む
g北上・和賀郡 1月 27日 1956 横黒線にジョルダン式雪かき車が出動(昭和31年1月27日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 岩手県内でどこが最も雪が積もるかといえば、何といっても西和賀地方である。 その西和賀地方を走る北上線―――当時の呼び方であれば横黒線はこの年も除雪に苦労していた。 それで、横黒線にはラッセル車どころかより広幅のジョルダン式雪かき車が配属されていた。 この年は「例… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 22日 1956 一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日のデーリー東北より。 1月22日、23時55分ごろ、東北本線の一ノ関駅に停車中の上り146列車の車掌室の椅子の下から、男の赤ちゃんの死体が発見されたのである。 恐ろしい話ではあるが、なぜ一関の話が八戸のデーリー東北で報じられたのか? それは、生の証言より、古間木〜三戸の間で持ち込… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 22日 1956 水沢の横町は「大通り」に改称(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 水沢の商店街である横町(よこまち)は、「大通り」に名称変更することにした。 そしてネオンアーチ完成記念の大売り出しを、この1月22日から2月5日まで行うことにした。 そもそも改称した理由は「横町」が「よこちょう」と読まれ、商売上不利であったからだという。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 22日 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 22日 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 19日 1956 久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日) 昭和31年1月21日のデイリー東北より。 太平洋の荒波に面する久慈港は、漁船の難破事故が多かった。 そこで、堀込式の港にすることで、この状況を解消しようと言う計画があった。しかし、予算がないことにはどうにもならない。 同じような港湾整備の要求は、全国から43の港から上がっていた。 しかし、そのような… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 19日 1956 岩手山の山頂なら仙台のテレビが見れるかも?(昭和31年1月19日) 昭和31年1月19日の河北新報岩手版より。 盛岡市内にはアマチュア無線局は27局あり、東北一であったという。 受信しているだけの愛好家も合わせれば50人はいたのではないかと言われていた。 その盛岡ではアマチュア無線クラブがあったが、この年の目標は「4月に仙台で放送が始まるテレビを岩手山頂で受信しよう… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 16日 1956 久慈市の目抜き通りが面目一新(昭和31年1月16日) 昭和31年1月16日のデーリー東北より。 1月10日、久慈市計画委員会が行われ、保留していた市街地幹線道路の区画整理の実施大綱を決定した。 久慈駅前からまっすぐ現在の新町通りまで幅20メートルで広くだけなのでこの地帯の立ち退きが必要 新町通りも幅20メートルで片側の家屋は若干立ち退きが必要 東部新町… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 15日 1956 久慈や種市の漁港で次々と施設拡充(昭和31年1月15日) 昭和31年1月15日のデーリー東北より。 サバ漁で昭和29年来活気を帯びてきた久慈や種市の漁港では、魚市場開設や冷蔵車の新設が目立っている。 八木港では状況が魚市場や冷凍会社を開設し、宿戸や小子内では漁協連合の共同市場を開設したと言う。 また、野田村の漁協でも農林中金に38,000,000円の融資を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 14日 1956 沿岸で珍しい大雪(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 基本的に、岩手県の沿岸部の太平洋岸にはそれほど雪は降らないものである。 それは、普段雪を降らせている原因は「冬型の気圧配置」によりシベリアからの寒気が日本海の水蒸気を日本海側に運び、日本海側で大雪を降らせることはあっても、その水蒸気が奥羽山地や北上山地まで越える… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 11日 1956 新里村で20貫(75kg)のクマ射止める(昭和31年1月11日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 前年2月1日に下閉伊郡茂市村と刈屋村が合併して誕生した新里村の山中で、20貫(75kg)のメス熊を射止めたという。 1月11日に熊狩りに行っていたところ、日が暮れようとしている4時半にクマ穴を発見。 中からクマが出てきたので4mの至近距離までおびき寄せ、襲い掛か… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1956 悪書追放のために紙芝居をする大野村の女性(昭和31年1月10日) 昭和31年11月10日のデーリー東北より。 大野村では、悪書追放のために子供たちに紙芝居をしている女性がいるという。 この17歳の女性は、村の農業共済組合に勤めていると言う。 文芸や映画好きなこの女性、もともとは久慈高校大野分校に通っていたのだが、前年の8月に父親が急死してから、一家を助けるために高… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 8日 1956 八戸線にディーゼルカーを増強(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日のデーリー東北より。 盛鉄局では、八戸線の旅客輸送が増えてきたので3月1日から新ディーゼルカーを増強する予定であると言う。 この時点で、ディーゼルカーは5両あったと言うが、それに新車を運転9両加えれば14両となる予定。 ディーゼルカーは、尻内から久慈の間を運転する予定であるが、尻内… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 8日 1956 遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 後年、あんべ光俊の「遠野物語」で〽月夜の晩の福泉寺~と歌われた遠野市の福泉寺では、戦没者供養と戦災復興を祈願して、信者3000人の手により平和大観音像が慈眼寺の山頂に建立されることとなった。 高さは43尺(13メートル)であり、台座も含めると実に54尺(16.… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 8日 1956 盛岡日活で「顔役」「未成年」公開!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡日活では「顔役」と「未成年」を公開する。 「顔役」(ボス)は昭和30年12月27日初公開で、出演は三橋達也、南田洋子など。 「未成年」は昭和30年10月18日初公開で、出演は長門裕之、清川虹子など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 8日 1956 盛岡・中央ホールで大映「虚無僧変化」「帰って来た幽霊」封切!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡で大映専門館となっていた中央ホールで「虚無僧変化」と「帰って来た幽霊」を封切する。 「虚無僧変化」は昭和30年12月21日初公開で、林成年、角梨枝子、黒川弥太郎などの出演の時代劇。 「帰って来た幽霊」は昭和30年12月14日初公開で、花菱アチャコ、浪花千栄子、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 8日 1956 盛岡・東宝第一劇場で「花嫁会議」「オテナの塔 後編」封切!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡の東宝第一劇場では「花嫁会議」と「新諸国物語 オテナの塔 後編」を封切する。 「花嫁会議」は昭和31年1月14日公開で、柳家金語楼や雪村いずみの出演。 未来の日付となっているが、直営館なので早かったのだろうか。 「新諸国物語 オテナの塔 後編」は… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 8日 1956 躍動する宮古港(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 宮古市内を空撮した画像。 この時期、宮古港は3000トン岸壁から延長して10000トン岸壁の建設工事が始まっている時期だった。 また、閉伊川の加工を磯鶏海岸に切り替える計画もあったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 8日 1956 盛岡・内丸座で「続・この世の花」「元禄美少年記」を封切!(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「続・この世の花」と「元禄美少年記」を封切する。 「続・この世の花」は昭和30年11月6日初公開の松竹映画で、川喜多雄二や淡路恵子が出演。 「元禄美少年記」は昭和30年12月21日初公開の松竹映画で、中村賀津雄が主演。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1956 カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。 ちなみに、どちらも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1956 松島トモ子が岩手県公会堂に来ます(昭和31年1月7日) 昭和31年1月6日の岩手日報より。 松島トモ子が岩手県公会堂で公演をするという。 この時松島トモ子は10歳。 子役として忙しい時期であった。 … 続きを読む