a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 8日 1937 「雫石アネコ」の田植えを見物に行こう 昭和12年6月10日の岩手日報より。 見出しは「色とりどり雫石名物 美しの早乙女が泥田に描く詩情」。 令和になった今でも道の駅の名前になっているなど、雫石町の観光資源となっている「雫石あねっこ」であるが、それは戦前からだったようである。 岩手日報社により、雫石アネコの見物団が組織され、川口村長、盛岡… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 1日 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1937 盛岡~日詰のバスは佐藤自動車(昭和12年5月28日) 昭和12年5月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手県交通の前身の一つである岩手中央バスは、国家総動員法に基づいて制定された陸運統制令(昭和15年1月31日勅令第37号)によって、盛岡周辺の小規模なバス事業者が統合されて成立したものである。 いわゆる「戦時統合」「戦時合併」として知られているものだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1937 岩手公園で岩手医専の運動会(S12.5.18岩手日報) 岩手公園で岩手医専(現:岩手医科大学)の運動会が行われたという。 中等校リレーというのは、これは岩手中学のことだろうか。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 18日 1937 帝大の怪腕投手緑川伝作が福岡中学に英語教師として赴任(S12.5.18岩手日報) 東京帝大の怪腕投手として知られた緑川伝作が、福岡中学に英語教師として赴任し、野球部の副部長になったという。 ちなみに緑川は福島・安積中学から山形高校を経て帝大に入学した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1937 盛岡電燈のラヂオ大売出し!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 盛岡電燈ではラジオを大売出ししている。 4球ラジオで37〜38円であると言う。 ちなみに盛岡でラジオの放送が始まるのは翌昭和13年8月なので、この当時は仙台放送局で聴こえるものを聴いていたのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1937 大阪文楽の人形浄瑠璃が盛岡劇場に来ます!(昭和12年5月18日) 昭和12年5月18日の岩手日報より。 6月5日に、盛岡劇場で人形浄瑠璃が行われるという。 これは、函館公演が予定されており、その途中に盛岡に寄るのだという。 浄瑠璃なら道具もかなり嵩張るので貨物列車で運んだのだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 5月 18日 1937 昭和12年の怪しい情報商材広告 昭和12年5月18日の岩手日報の広告欄より。 「これだ!金儲の早道」などと書いてるので、現在のyoutubeの早口広告のような怪しい情報商材広告かと思ったら「世界最大・銀狐兎の飼育」という。 業者は岩手県内ではなくはるか大阪は布施市(現:東大阪市)からで、全国の地方紙に同様の広告を出していたのだろう… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 17日 1937 ヤンマーヂーゼル「原動機の改革時代来たる!」(昭和12年5月17日) 昭和12年5月17日の岩手日報より。 広告欄にはヤンマーの原動機の広告。 この当時の原動機といえば、脱穀やポンプに使っていただろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 16日 1937 明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・ 明治神宮は明治天皇を祭る畏き神域。 その明治神宮で賽銭泥棒という大それた不敬をしでかした30歳の男は、岩手県のどこだかの街の出身だった。 郷里に住むその男の父親だけでなく、その町の町長までが東京に出て明治神宮でお詫び行脚である。 明治神宮の神域で不敬を働くということは、それほどの大それたことであった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 16日 1937 本日不在事件(昭和12年5月16日) 「ガールズちゃんねる」に、心霊スポット関係のスレッドがある。 そこに、盛岡出身と思しき方の書き込みがあった。 北夕顔瀬町の殺人事件があった場所が、小学生の肝試しスポットとなっているのだという。 まあ元気があって何よりですこと・・・ という気もしないではないが、殺人事件があると、このように心霊スポット… 続きを読む
m県外・参考 11月 8日 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 5日 1936 盛岡・内丸座で「男性対女性」「薔薇はなぜ紅い」「お化け花嫁」を公開(昭和11年11月5日) 昭和11年11月5日の岩手日報より。 盛岡・内丸座で「男性対女性」「薔薇はなぜ紅い」「お化け花嫁」を公開する。 「男性対女性」は、昭和11年8月29日公開の松竹映画で、出演は佐分利信・上原謙・田中絹代など。 「薔薇はなぜ紅い」(原題:So Red The Rose)は、昭和10年の米パラマウント映画… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 3日 1936 ハーレー・ダビットソンの正しき国産化は「陸王」!(昭和11年11月3日) 昭和11年11月3日の岩手日報より。 盛岡市穀町の藤健モーターサイクルが、陸王について広告を出している。 何でも「ハーレー・ダビットソンの正しき国産化」なのだそうな。 ちなみに穀町とは現在の盛岡市南大通。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1936 川徳でトンビやマントなど防寒用具大売出し!(昭和11年11月1日) 昭和11年11月1日の岩手日報より。 川徳では防寒用具の大売出しを行うという、 トンビやマントなどというのが時代である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1936 岩手県内主要企業の株価(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 この当時の岩手県内の主要な企業の株価が並んでいる。 当時の金融機関は「盛岡銀行」「九十銀行」「岩手無尽」の時代。 また、川口荷札(現:川口印刷)也岩手軽便鉄道などもある。 ちなみに、盛岡の小人町通りとは盛岡バスセンターとわんこそば東屋本店の間の通り。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1936 川徳は肴町、松屋は中ノ橋(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 盛岡では2大百貨店となっていた川徳は中元セール、松屋は夏物一掃セールを行なっていた。 ところで、この両店、現在のホットライン肴町を挟んで向かい側に位置していたのだが、川徳は「肴町」、松屋は「中ノ橋」と表現している。 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1936 警察練習所のお台所拝見(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 盛岡警察署の西隣にあったという警察練習所の食事風景であるという。 盛岡警察署の西隣というと、現在の岩手県警察本部のあるあたりだろうか。 現在、岩手県警察学校は青山にある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 1日 1936 岩手軽便鉄道は今日から国鉄!(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 岩手軽便鉄道がこの日から国有化されることになり、沿線の喜びはひとしお。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1936 ヂャイアント号自動三輪車は盛岡・テルイモータースで!(昭和11年5月6日) 昭和11年5月6日の岩手日報より。 今なおWikipediaに単独項目が立っているオート3輪「ヂャイアント」の広告。 盛岡では四ツ家にあるテルイモータースという販売店が総代理店になっていた模様。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1936 盛岡・松屋デパートでは花見を当て込んで大売り出し(昭和11年5月3日) 昭和11年5月3日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは花見を見込んで弁当や衣料品の大売り出し。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 2日 1936 盛岡・川徳「土日は大売り出し!」(昭和11年5月2日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 川徳デパートでは土日に大売り出しをするという。 ちなみにこの当時、5月3日は憲法記念日という訳ではなかった。 また、5月5日の「こどもの日」もまた昭和23年に制定されているので、ゴールデンウィークというのは戦前にはない。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 1日 1936 田山セツルメント生活日誌(S11.5.1岩手日報) 盛岡友の会による田山セツルメントの生活日誌であるという。 「盛岡友の会」は確か現在の盛岡スコーレ高校を経営している向中野学園と何か関係があったような・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 盛岡観光祭1日目の様子(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 当時は、桜の季節に「 盛岡観光祭」が行われていたようで、その時の様子が写真記事となっている。 ちなみに、気象庁のホームページ気象庁のホームページによれば、桜の開花の観測は昭和28年から開始されているようであるが、昭和20年代だと開花は4月の下旬ごろだ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 李承喜の撮影会にカメラマン200名(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 朝鮮半島出身のダンサー・李承喜の撮影会が岩手県公会堂で行われ、盛岡内外から200名のカメラマンが集まった。 中には、唐たけし写場やライト写真館など、戦後なお有名な写真館からも来たようである。 その様子を、記事では「甘きに集まる蟻のように」と表現している。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 有名ダンサー・崔承喜が来盛(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 5月1日の1時過ぎ、有名なダンサーである崔承喜が、この日の夜に岩手県公会堂で行われる新作舞踏会に出演のため、一行9人を引き連れて盛岡駅に降り立った。 そして岩手日報本社に訪れ、「5尺4寸(162cm)の長躯」で挨拶をしたという。 いわく「盛岡には7年前に石井(漠?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1936 紫波郡古舘女子青年学校で農業労働(昭和11年5月1日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 紫波郡の古舘女子青年学校では、果樹園で施肥や薬剤散布の作業をおこなった… という写真記事。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 4月 29日 1936 大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 大船渡の港に、世界的に有数のタンカーであるノールウェイドラフン号が着岸した。 このドラフン号は、12,000トンであると言う。 そして、4500トンの重油を日石タンクにあげた。 この巨大の船の入稿に、気仙郡の郡民の見物客は500人から600人に及んだと言う。 子供… 続きを読む