岩手公園の南部中尉の愛馬の銅像が怪我しました(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月、盛岡市の岩手公園でちょっとした“異変”が起きました。園内に建てられていた南部利祥(としなが)中尉とその愛馬の銅像のうち、馬の像の一部に破損が見つかり、足場を組んでの修復作業が行われているのです。

写真に見えるのは、銅像の周囲を囲う足場と、その上で作業を行う職人たちの姿。まるで本当に「怪我をした忠馬を手当てしている」かのような光景です。

この像の主・南部利祥中尉は、旧盛岡藩主・南部利恭の長男で、南部家第42代当主にして最後の伯爵。陸軍騎兵中尉として日露戦争に出征し、1905年(明治38年)3月4日、井口嶺の戦いで銃弾を浴びて戦死しました。享年わずか23歳。その最期には、従軍していた竹田宮恒久王の盾となって倒れたという逸話も伝わります。

その忠義と若き命を偲んで建立されたのが、この銅像です。銅像の完成は大正期とされ、盛岡の人々にとっては「忠馬像」として親しまれてきました。

しかしこの像も、戦争の波には抗えませんでした。昭和19年(1944年)、金属類回収令により「銅像の出征」が命じられ、愛馬もその主人も戦地へ送られるように姿を消しました。現在では、岩手公園内に台座のみがひっそりと残されています。

今回の写真は、そんな像がまだ健在だった頃の貴重な記録。昭和の初め、銅像の「怪我」に丁寧に向き合う人々の姿が写し出され、失われた風景を静かに物語ってくれます。

 


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