北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文
1937年6月10日
2021年12月19日
昭和12年6月10日の岩手日報より。
当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。
現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。
そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12年6月5日に北海道庁長官に転じるまでの5年半、岩手県知事の座にあった。
それまでの岩手県知事が1年ごとに交代していることから見ると異例の長期間であったが、その間六原道場の新設、三陸大津波の復興と、岩手県政に大きな足跡を残している。
その石黒知事の栄転に際し、岩手県青年学校教員養成所の生徒20名は血書で栄転を祝う文章をしたためたのであった。