初めての民選知事に国分謙吉が当選(S22.4.7新岩手日報)
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【歴史の1ページ】1947年4月7日:岩手初、伝説の「農民知事」国分謙吉誕生!
終戦からわずか2年。それまでの中央政府から派遣される「官選知事」ではなく、県民が自らの手でリーダーを選ぶ、初めての岩手県知事選挙が行われました。

手元にあるのは、1947年(昭和22年)4月7日付の「新岩手日報」。そこには、圧倒的な支持を得て当選した国分謙吉(こくぶん けんきち)氏の姿が鮮烈に記録されています。
■ 衝撃の見出し:「ワシは小作人だよ」
紙面中央に躍るのは、「金的射止めた國分さん」、そして「ワシは小作人だよ」というあまりにも有名な言葉です。
当時の知事といえば、エリート官僚が当たり前だった時代。そこに地下足袋を履き、前掛けをした「農民」が知事として乗り込む。これは当時の岩手県民にとって、まさに民主主義の夜明けを象徴する出来事でした。記事にある「開票の日、國分農場は微笑む」という一節からも、土に根ざした生活者の視点が伝わってきます。
■ 「岩手は独立する」という覚悟
国分氏は、単なる素朴な農夫ではありませんでした。若くして農事試験場を創立し、小作争議の指導者として農民の権利を守り抜いた、筋金入りの農政活動家です。知事就任時の挨拶で彼が放った言葉は、今も語り継がれています。
「岩手は独立する。もう中央の言うことは聞かない。」
この一言に、当時の県民はどれほど勇気づけられたことでしょうか。国に頼るのではなく、自分たちの土地は自分たちで守り、育てる。その強烈な自負が、この古い紙面からも立ち上ってくるようです。
■ 皇后陛下も思わず……語り継がれる「ズーズー弁」
国分氏は生涯、自身のアイデンティティである岩手の方言を隠しませんでした。昭和天皇が岩手を巡幸された際、国分氏がズーズー弁で熱心に説明し、その様子に香淳皇后が思わず吹き出したという微笑ましいエピソードも残っています。
高村光太郎の詩「岩手の人」のモデルとも言われる国分謙吉。「飾らない、曲げない、土を愛する」という彼の姿勢が、敗戦直後の荒廃した岩手に希望の光を灯したのです。
■ 現代の私たちへ
この1947年の新聞記事は、単なる記録ではありません。「自分たちのリーダーを自分たちで選ぶ」という、私たちが今持っている権利の尊さを教えてくれます。歴代知事の中でも異彩を放つ「農民知事」の歩みを知ることで、私たちが住む岩手の風景が少し違って見えてくるかもしれません。
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