九戸郡中野村の義妹殺し(S22.5.28)
1947年5月28日
2025年8月17日
昭和22年5月28日、岩手県九戸郡中野村(現洋野町種市)で、弱視の23歳の女性が家を無断で出たまま行方不明となりました。前日の5月27日、被害者が外出していた様子が目撃されており、普段ほとんど外に出ない彼女の行動を不審に思われていました。家族や村人たちが捜索を行う中、5月31日、近隣の雑木林(八木山)で被害者の遺体が発見されました。
遺体は土中に埋められた状態で発見され、検視の結果、絞殺による窒息死と判明しました。また、被害者は妊娠5ヶ月であることが明らかになり、事件の背景に家族間の複雑な事情があることが浮かび上がりました。捜査を担当したのは久慈警察署(現岩手県警久慈警察署)で、捜査の結果、被害者の義兄が容疑者として浮上しました。
義兄は戦争から復員後、被害者の姉と結婚し資産家の家庭に婿養子として迎えられていましたが、被害者と不適切な関係を持ち、その結果妊娠に至ったとされます。被害者が妊娠を告げたことで義兄は混乱し、堕胎を試みましたが失敗。妊娠が明るみに出ることを恐れた義兄は、5月28日の朝に被害者を雑木林に連れ出し、絞殺した後、遺体を埋めたと自供しました。この事件の背景には、義兄が家族内で築いた地位や、村社会の厳しい目から自分を守ろうとした行動が影響していたとされています。
事件後、義兄は裁判にかけられ、盛岡地方裁判所で昭和23年10月4日に無期懲役の判決を受けました。その後、仙台高等裁判所に控訴するも、昭和24年4月14日に原判決が維持されました。この事件は、戦後の社会や家族関係が絡み合い、地域社会の圧力や家族間の複雑な依存関係が引き起こした悲劇として記録されています。