進駐軍岩手軍政部の宿舎に少年窃盗団(S23.12.3新岩手日報)

【戦後秘話】進駐軍を6度襲った少年窃盗団 — 「敷地に入れば銃殺」という占領下の現実

昭和23年(1948年)12月3日「新岩手日報」の記事より

戦後まもない昭和23年、岩手県盛岡市。今では穏やかな市民の憩いの場である岩手公園(盛岡城跡)周辺で、当時の緊迫した空気を感じさせる衝撃的な事件が起きていました。

Screenshot

当時の新聞紙面を大きく飾ったのは、「不敵の少年集団窃盗 六度・軍政部襲う」という見出しです。

ターゲットは「米軍物資」

12月1日午後9時ごろ、盛岡市岩手公園下の崖下を這い入り、岩手軍政部の宿舎に忍び込んだのは3人組の少年たちでした。

彼らの狙いは、当時日本人が喉から手が出るほど欲した「米軍物資」。驚くべきことに、彼らがこの宿舎を狙ったのはこれが初めてではなく、なんと6回目の犯行でした。

  • 被害品:毛布、衣類、タバコ、ビールなど100点以上
  • 犯人:15歳から18歳の少年4名

通報を受けた盛岡署は、直ちに20名の警察官を動員して現場を包囲。ついに少年たちを御用としました。

「ただ敷地に入っただけでも銃殺される」

この事件を受けて、当時の警察(市警本部)が市民に対して出した「一般の注意」という警告が、占領下という特殊な時代背景を物語っています。

「このような事件は、連合軍の哨兵(見張り)によっては、ただ敷地内に入ったというだけでも、場合によっては銃殺されることもあるので注意してほしい」

「泥棒は犯罪である」という以前に、「命を落とす危険がある」というあまりに直接的で切実な警告。当時の進駐軍施設は、日本の法を超えた「別世界」のルールで動いていたことが分かります。

歴史の断片を振り返って

食糧難や物資不足に苦しんだ戦後の混乱期。少年たちが命を懸けてまで米軍の毛布を盗もうとした背景には、現代の私たちには想像もつかない困窮があったのかもしれません。

古い新聞記事の片隅に刻まれたこのニュースは、自由と平和の裏側にあった、かつての岩手の厳しい現実を今に伝えています。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です