進駐軍岩手軍政部の宿舎に少年窃盗団(S23.12.3新岩手日報)
1948年12月3日
2026年3月24日
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【戦後秘話】進駐軍を6度襲った少年窃盗団 — 「敷地に入れば銃殺」という占領下の現実
昭和23年(1948年)12月3日「新岩手日報」の記事より

当時の新聞紙面を大きく飾ったのは、「不敵の少年集団窃盗 六度・軍政部襲う」という見出しです。
ターゲットは「米軍物資」
12月1日午後9時ごろ、盛岡市岩手公園下の崖下を這い入り、岩手軍政部の宿舎に忍び込んだのは3人組の少年たちでした。
彼らの狙いは、当時日本人が喉から手が出るほど欲した「米軍物資」。驚くべきことに、彼らがこの宿舎を狙ったのはこれが初めてではなく、なんと6回目の犯行でした。
- 被害品:毛布、衣類、タバコ、ビールなど100点以上
- 犯人:15歳から18歳の少年4名
通報を受けた盛岡署は、直ちに20名の警察官を動員して現場を包囲。ついに少年たちを御用としました。
「ただ敷地に入っただけでも銃殺される」
この事件を受けて、当時の警察(市警本部)が市民に対して出した「一般の注意」という警告が、占領下という特殊な時代背景を物語っています。
「このような事件は、連合軍の哨兵(見張り)によっては、ただ敷地内に入ったというだけでも、場合によっては銃殺されることもあるので注意してほしい」
「泥棒は犯罪である」という以前に、「命を落とす危険がある」というあまりに直接的で切実な警告。当時の進駐軍施設は、日本の法を超えた「別世界」のルールで動いていたことが分かります。
