半陰陽の女子医大生が盛岡に来て誘拐騒ぎ(S24.5.8新岩手日報)

昭和二十四年五月八日の新岩手日報には、少し不穏な記事が載っていた。当時、全国では「半陰陽(インターセックス)」と呼ばれた女子医大生が、女子医専の学生を誘拐するという事件が話題になっていたらしい。戦後間もない混乱期ということもあって、性に関する理解が浅い時代であり、センセーショナルな扱われ方をしていたことが紙面からも伝わってくる。

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その「半陰陽の女子医大生」が盛岡に現れたというのだから、地元ではなおさら騒ぎになったようだ。黒沢尻(現在の北上市)から岩手医専へ通っていた女子学生のあとをつけ回し、ついにはその女子学生が行方不明になったという。今読むと、性の在り方そのものよりも、純粋にストーカー事件として恐ろしい内容だ。

そもそも、岩手医専(現在の岩手医科大学)に女子学生が初めて入学したのがいつなのか、公式な記録はネット上には見当たらない。ただ、戦時中に設立された秋田県立女子医専が、学制改革で「B級」と位置づけられ廃校となり、在学生が東北大学附属医専や岩手医専に振り分けられたという記録がある。それが昭和二十二年のことだ。

記事の女子学生は、おそらくこの時に秋田から振り分けられてきた学生のひとりだったのだろうか。戦後の医療制度が大きく揺れ動いていた時期であり、地方で女子医師を育てる仕組みもまだ定まりきっていなかった。そんな最中に起きた不可解な失踪事件は、当時の人々にとって不安を掻き立てるものだったに違いない。

記録としては新聞の数行だけだが、背景には戦後の医療教育の混乱と、社会の性に対する固定観念が交錯している。盛岡の街に残された一つの小さな事件記事からも、当時の空気がじわりにじんでくるようだ。


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