国鉄の行政整理により、盛岡管理部管内でも2052名の人員性が行われることになった。 いわて昭和史データベース国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日)http://showa.nazo.cc/iwate/1949/07/01/国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定/昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。「行政整理はあくまで断行する」つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員54名で合計7,389名。これに対して現在の職員数は9,441名。都合、2,052名の首切りが必要になるということであった。これに対し、国鉄労組盛岡支部では闘争委員会を開いて今後の対策を協議した。 これに対し、国労は実力行使も辞さない構えで各職場では闘争の準備に入っていた。 いわて昭和史データベース国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」(昭和24年7月2日)http://showa.nazo.cc/iwate/1949/07/02/国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」/吉田首相の行政整理の方針に基づき、盛岡管内でも2052人の首切りが発表されることになった。それで、国鉄労組盛岡支部の本部には「断固職場を死守せよ」と、2日の朝から組合旗が掲げられることになった。闘争本部では、整理発表の当日の20時30分に本部指令を出し、傘下35分会に闘争指令を発した。これに対し、黒沢尻保線区、盛岡保線区、盛岡車電区などでは実力行使の体制はすでにできているという報告があった。しかし、列車が正常に運行できないと大衆の反発を買うことになるので安全委員会を設置した。そしてマイクで大衆に呼びかけ... その矢先の7月5日、事件は起こった。 Tweet