東北本線・盛岡~厨川間で通信線切断事件(昭和24年7月17日)
1949年7月17日
2021年12月23日
行政整理による盛岡管理部管内2052名の首切りが発表され、東京の国鉄本社でも下山総裁が謎の死を遂げた。
そのような中、7月17日に日が変わった深夜2時45分ごろ。
盛岡駅にはそろそろ上野行きの上り216レが到着する頃だ。
隣の厨川駅に216レが出たかどうか確認しよう。
そう思って鉄道電話をかけたら、全然つながらない。
これでは閉塞もできない。
仕方がないので、鉄道公安官と盛岡通信区に連絡し、一般公衆電話で厨川郵便局を通じ厨川駅と連絡を取ることにした。
どういうことかと調査してみたら、以下のような被害状況であった。
- 盛岡工事事務所内リレーヘッド局舎の鍵が外され、内部の継電器が断線されている。
- 東北本線新田町踏切、青山踏切、馬頭踏切の自動警報機用蓄電池ボックスの電池が引き抜かれている。
- 盛岡駅北方1.5km付近の電線43本がペンチで切断されている。
- 山田線新田町、長町~上田踏切の警報機用電池と、盛岡駅上り信号機用電池が抜かれている。
届を受けた盛岡市警察署では直ちに捜査を開始した。
国鉄労組盛岡支部の闘争委員長は以下のようなコメントを出した。
「今回の行政整理は、勤務に何らの手落ちがなく単にデモに加わった程度のことを扇動したなどと見られたり、組合活動上正しい主張を通しただけどいうことで首を切られたというのが多い。
今回の列車妨害は、組合のせいにして闘争を妨害する者、あるいは整理されて自暴自棄に鳴ったものの犯罪のいずれかではないか。
この手の事故はまた多くなるかもしれないが、無茶苦茶な首切りを押し付けた当局の責任だ」