岩手でも報じられた西日本パイレーツのセリーグ脱退(S26.1.31岩手新報)

昭和25年のセリーグ発足と同時に発足した西日本パイレーツは、1年目で早くも瀬戸際を迎えていた。

それは、「セリーグ6球団化」で西日本パイレーツの解散を前提とした記事が書かれており、なおかつ巨人で総監督に祭り上げられて干されていた三原脩を監督に迎え、それに同調した青田昇も「引き抜く」ような形になり、セリーグで孤立無援となっていたからだ。

結局、年を越えて1月に入り、月末にセリーグ脱退のやむなきに至ったのである。

これは岩手でも報じられることとなった。


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