女子プロ野球団「マルキンシスターズ」が市内で行列(昭和26年6月17日)

昭和26年6月17日の「夕刊いわて」より。

盛岡に来た女子野球野球団「マルキン・シスターズ」は、薄いグレーのジャンパーと白いユニホームで盛岡市内を行進した。

その後、盛鉄球場で地元名士軍などと試合したが、その試合結果は書いていない。

夕刊誌だったので、入稿時間に間に合わなかったのだろうか。

 

ところで、この時の様子を、当時マルキンシスターズに所属していた女性選手が2009年7月15日に述懐している。

いわく、

大阪に戻ると、私は今度は『シスターズ』というチームに引き抜かれました。女子プロ野球選手としては、その『シスターズ』が私が所属した最後の球団でしたが、このチームは、途中で大阪日日新聞が親会社としてスポンサーに加わってくださり、1カ月間ほど遠征した東京では、今度は「丸金醤油」が新たにスポンサーとして加わってくださいました。最初は、大きく「丸金」と胸に書かれたユニフォームを着せられて、恥ずかしかったんですけれども、「皆と一緒だから、もう平気や」という顔をして、「丸金」と書かれたユニフォームのまま、上野から青森まで夜行列車で行きました。

東北地方では、酒屋さん組合の方たち(当然、男性)と試合をしましたが、最初は「男女間のハンディを埋めるため(試合に出場できるのは)45歳以上」と約束するんです。けれども、自分たちのチームの雲行きが怪しくなってくると、約束を反故(ほご)にして若い選手を出してこられる。そんな具合でしたが、別に「勝ち負けは気にせず、楽しく遊べたら…」ということだったので、そんな風に試合をしながら、また東京まで帰ってきます。試合をした後は、すぐにその記事が下野(しもつけ)新聞に載るんですが、その時の酒屋組合との試合写真もみんな載りました。そういった記事を見せていただいたら、私はちゃんと切り抜いて持って帰りました。今でも持っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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