市制したばかりの大船渡市の細長い町並みの利便性改善の鍵はバスの便(昭和27年10月18日)
1952年10月18日
2022年1月16日
昭和27年10月18日の岩手日報より。
「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、第38回目は大船渡市。
この時点で、4月1日に市制したばかりという状況であった。
大船渡市は盛の町並みから大船渡の町並みまで20町あまり、子の広さをバスで縮めないといけないと市では頭を悩ませていた。
大船渡市内を出入りするバスは31本であったが、某会社(おそらくは岩手東部バス?)では6時~20時まで30分ごとに盛町権現堂~大船渡町須崎橋を運転していた。
これが須崎橋から細浦までの延長が陳情され、近く市内バスとは別会社で運転することとなったという。
これと前後して大船渡駅~中赤崎のバスや、赤崎中学校~赤崎町長崎(綾里村との境界近く)まで走るバスも生まれる。
市内に乗り入れる2つのバス会社が単なる競争に終わらず、市内を狭くしてくれるために貢献するかもしれない。と期待している。