釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日)

釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。

当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。
これが、この年以降の豊作続きでコメ余りが社会問題となっていき、昭和44年には「自主流通米制度」として一部自由流通を認めることになる。
米価が完全に自由化するのは、昭和が終わって平成4年になってからのことである。

このヤミ米急襲に話を戻すと、釜石署の防犯係長のコメントも載っており、
「旧正月前でもあるしお土産とか自家消費者まで対象にしたものではない。ヤミ屋を取り締まったものだ」

どうも弁解しているような調子である。

この年の7月、経済白書では「もはや戦後ではない」という歴史的な文言が出た年、食糧事情がだいぶ改善され「今更ヤミの摘発なんてしなくても・・・」という雰囲気を感じる。

現在で言う、警官の点数稼ぎのネズミ捕り(スピード違反摘発)が、この「ヤミ狩り」だったのだろうか。

 

 


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です