年: 1956年

八戸線にディーゼルカーを増強(昭和31年1月8日) c久慈・九戸郡

八戸線にディーゼルカーを増強(昭和31年1月8日)

昭和31年1月8日のデーリー東北より。 盛鉄局では、八戸線の旅客輸送が増えてきたので3月1日から新ディーゼルカーを増強する予定であると言う。 この時点で、ディーゼルカーは5両あったと言うが、それに新車を運転9両加えれば14両となる予定。 ディーゼルカーは、尻内から久慈の間を運転する予定であるが、尻内…
遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日) e釜石・遠野・上閉伊郡

遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日)

昭和30年12月27日の岩手日報より。 後年、あんべ光俊の「遠野物語」で〽月夜の晩の福泉寺~と歌われた遠野市の福泉寺では、戦没者供養と戦災復興を祈願して、信者3000人の手により平和大観音像が慈眼寺の山頂に建立されることとなった。 高さは43尺(13メートル)であり、台座も含めると実に54尺(16.…
盛岡・中央ホールで大映「虚無僧変化」「帰って来た幽霊」封切!(昭和31年1月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・中央ホールで大映「虚無僧変化」「帰って来た幽霊」封切!(昭和31年1月8日)

昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡で大映専門館となっていた中央ホールで「虚無僧変化」と「帰って来た幽霊」を封切する。 「虚無僧変化」は昭和30年12月21日初公開で、林成年、角梨枝子、黒川弥太郎などの出演の時代劇。 「帰って来た幽霊」は昭和30年12月14日初公開で、花菱アチャコ、浪花千栄子、…
盛岡・東宝第一劇場で「花嫁会議」「オテナの塔 後編」封切!(昭和31年1月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・東宝第一劇場で「花嫁会議」「オテナの塔 後編」封切!(昭和31年1月8日)

昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡の東宝第一劇場では「花嫁会議」と「新諸国物語 オテナの塔 後編」を封切する。 「花嫁会議」は昭和31年1月14日公開で、柳家金語楼や雪村いずみの出演。 未来の日付となっているが、直営館なので早かったのだろうか。   「新諸国物語 オテナの塔 後編」は…
大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日)

昭和34年1月8日の河北新報岩手版より。 大船渡市では全国の都市に先駆けて、国保の10割給付を行っていたという。 つまり毎年の国保料を支払っていれば無料で医者にかかれるということ? ・・・それはともかく、そのような状態でもあり大船渡市の財政は危機にさらされていた。 それで大船渡市立の病院が建設できず…
盛岡・内丸座で「続・この世の花」「元禄美少年記」を封切!(昭和31年1月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「続・この世の花」「元禄美少年記」を封切!(昭和31年1月8日)

昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「続・この世の花」と「元禄美少年記」を封切する。 「続・この世の花」は昭和30年11月6日初公開の松竹映画で、川喜多雄二や淡路恵子が出演。 「元禄美少年記」は昭和30年12月21日初公開の松竹映画で、中村賀津雄が主演。     …
カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

カップルのオートバイの横乗りは取り締まりますよ(昭和31年1月7日)

昭和31年1月7日の岩手日報より。 この頃、オートバイにカップルで乗って、女性の方は横乗りで事故を起こすことが多かったようである。 そこで警察は取り締まりに乗り出すことにした。 警察は「捕まりたくなかったら女性もズボンをお召しになってまたがって乗ってください!」と。   ちなみに、どちらも…
樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) l全県

樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日)

昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が…
石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

石井バレエ・グループ(昭和31年1月6日)

昭和31年1月6日の河北新報より。 盛岡市菜園の石井バレー研究所では70名の少女たちがけいこに励んでいる。 先生の石井智子氏は二戸郡福岡町出身で、日本女子短大を卒業して東京のバレー界で活躍した、と書かれている。 お弟子さんは3つのグループに分かれ。一番けいこを積んだグループを「ハイクラス」と呼んでい…
盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日)

昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを…
釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった

昭和31年1月6日の河北新報より。 東北水連と釜鉄真道会が共催で、ヘルシンキオリンピックで800mに出場した谷川禎次郎選手を招き、釜石製鉄所の鈴子プールで水泳教室を開催することとなった。 県内の高校・中学校から60人が参加した。   1月とはいっても寒中水泳というわけではなく、気温は4℃で…
「神主打法」松竹ロビンスの岩本義行は一時期、水沢駒形倶楽部にいたことがある(昭和31年1月5日) h水沢・江刺・胆沢郡

「神主打法」松竹ロビンスの岩本義行は一時期、水沢駒形倶楽部にいたことがある(昭和31年1月5日)

昭和31年1月5日の岩手日報より。 見出しは「岩本(水沢駒形)東映監督に」とある。 この「岩本」とは、元祖「神主打法」で戦前から戦後のプロ野球で活躍した岩本義行その人である。 昭和28年に、洋松ロビンスを最後にプロ野球を引退し、宮城県登米郡上沼村(現:宮城県登米市)で石灰石鉱山を経営していた父の後を…
野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日) c久慈・九戸郡

野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日)

昭和31年1月5日のデーリー東北より。 岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。 そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。 そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。 その箱は、スリットを作り中身…
安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! d宮古・下閉伊郡

安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ!

昭和31年1月4日の岩手日報より。 この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。 それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。 犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。 明…
いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) l全県

いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日)

昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?…
新生活運動の正月(昭和31年1月3日) l全県

新生活運動の正月(昭和31年1月3日)

昭和31年1月3日の河北新報より。 昭和31年の正月は、「新生活運動が根付いたためか」松飾りはほとんど無く、日本髪の女性もほとんどいなかったのだという。 ただし、県内各地の神社では初詣の人出が過去最高になった所もあったという。 翌2日は、初売りの車が県内各地で走り回っていたという。 写真はどこの初売…
岩手山麓にジャージー種が導入されて3年目 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手山麓にジャージー種が導入されて3年目

昭和31年元旦の河北新報より。 農林省は、昭和28年に岩手山麓を「集約酪農地域」に指定して、ジャージー種の乳牛を導入することとした。 その第1陣がニュージーランドから到着したのは12月のことで、最初は35頭、昭和29年3月までに259頭、昭和29年度には271頭が導入され、川口・巻堀・渋民・大更・田…
河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) l全県

河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日)

昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・    …
国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日)

昭和31年元旦の河北新報岩手版より。 釜石製鉄所の昭和30年の輸出総額は16万トンで70億円であった。 新春そうそうの1月2日には、日本商船の興名丸(7000トン)が釜石に入港し、アルゼンチン向けにスラブやビレットを積み出すという。 また、松岡開運の松福丸(6890トン)もまた、アルゼンチン向けにビ…