岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日)
昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。
大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。
一体なにごと…?
「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」
「6号車、異常ありません、どうぞ」
「3号車異常なしー、どうぞ」
そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが回答がない。
確か4号車は、日影門から小本街道の庄ヶ畑の方に行くとか…
台帳には「男2名、庄ヶ畑」とある。
現在一番近そうなのは、上田の方に行っている運転手だ。
交信台から無線で指示することにした。
「ちょっと小本街道の庄ヶ畑の方に行ってみてくれる?」
「了解」
その小本街道が「国道455号」となるのは、平成に入ってからのこと。
当時はまだ「県道盛岡岩泉線」として、舗装すらしておらず、通年走ることもできなかったため、岩泉へ行くバスも沼宮内や葛巻を経由していた時代だ。
果たしてその同僚運転手からの報告が上がってきた。
「いました!首を刺されています!」
「な、な、何!? すぐに医大に運べ!」
タクシー強盗事件である。
仙台等ではすでに数年前に発生していたが、まさか盛岡でも発生するとは…
事件は直ちに盛岡警察署にも連絡された。
事件は盛岡郊外の山道で発生している。
犯人が逃げたとすれば岩洞湖の方か、はたまた岩泉方面か。
あるいは盛岡市内潜伏?
その日の19時に盛岡警察署に捜査本部が設置された。
その日の日暮れも近い16時頃のこと。
後年「秘境駅」として知られることになる、山田線の浅岸駅に近い山林伐採飯場に2人の男が来た。
見れば1人はかつての知り合いである。
「どうしたんだ?」
「腹が減ってるんだ。飯を食わせてくれないか?」
それはともかく、何だってまたこんな人里はなれた所まで腹をすかせて来るのか。
もしかしてさっきラジオでやってたあの事件…?
「お前ら、盛岡のタクシー強盗を知ってるか?」
「し、知らないよ」
「フーン…」
ま、今後どうするかはともかくとして、とりあえず飯を食わせてやることにしよう。
どうせこれがお前らの最後のシャバの飯だ。
すっかり満腹した2人は高鼾をかいて寝てしまった。
それを見届けた飯場の男は電話のハンドルを回しはじめた。
「あ、110番お願いします」
「お待ちください」
盛岡警察署に電話が掛かってきたのは22時過ぎのこと。
「え!?犯人らしい男が?そちらは?山田線の浅岸駅近くの飯場?」
おそらく、ほぼ確実にホンボシだ。
上米内駅のあたりから山田線の線路を歩いて行ったのだろう。
国鉄の盛岡保線区に頼んで、モーターカーを出してもらうことにした。
そして日付が17日に変わった午前1時頃のこと。
「私たちは盛岡警察署のものであるが、君達に話がある!」
犯人達はすでに観念しており、布団の上に正座して、おとなしくお縄についたのだった。
犯人2人は、共に自動車運転助手で、25歳と23歳だった。
八幡宮のお祭りで酔っ払っていた所ところ「金がなくて淋しいな」「一発タクシーでもやるか」と強盗に及んだものだった。