準急「よねしろ」運行開始(S37.2.20岩手日報)

【鉄道秘話】昭和37年、準急「よねしろ」が運んだのは地域の悲願だった

先日、昭和37年(1962年)2月20日付の岩手日報を目にする機会がありました。

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そこには、花輪線経由で盛岡と秋田を結ぶ準急「よねしろ」運行開始のニュースが誇らしげに掲載されています。


■ データが語る「よねしろ」の真実

記事を細かく読み解くと、非常に興味深い乗車率の推移が見えてきます。

地点 乗車率 状況・分析
盛岡発車時 約10% 岩手から秋田への通し客はまだ少数。
花輪線内 上昇傾向 各駅から続々と乗客が乗り込む。
大館到着時 約74% 鹿角・大館エリアからの利用が集中。

盛岡を出たときはガラガラだった車内が、花輪線を北上するにつれて活気づき、大館に着く頃には満席に近くなっています。
これは、「鹿角郡(現・鹿角市周辺)から県都・秋田市を目指すニーズ」が圧倒的だったことを証明しています。


■ なぜ「花輪線」経由が重要だったのか?

現代でこそ盛岡〜秋田間は「田沢湖線(秋田新幹線)」が最短ルートですが、田沢湖線の全通は昭和41年(1966年)。この新聞記事の時点ではまだ影も形もありません。

  • 陸の孤島の解消: 当時の道路事情では、冬の鹿角地域はまさに隔離された状態。
  • 乗り換えなしの利便性: 大館駅での乗り換えなしで秋田市へ直行できる「よねしろ」は、ビジネスや行政手続き、通学・通院の要でした。

筆者の視点:
盛岡からの乗客が10%に過ぎなかった事実は、この列車が単なる「都市間急行」ではなく、米代川流域の人々の生活を支える「地域密着型の優等列車」として産声を上げたことを物語っています。


■ 結びに

セピア色の紙面に踊る「まずは順調なすべり出し」という文字。
その裏側には、ようやく手に入れた「秋田直通」の切符を手に、期待に胸を膨らませた鹿角・大館の人々の笑顔があったはずです。

効率化が進む現代の鉄道ですが、かつて一つの列車が開通することがこれほどまでに地域を沸かせた時代があったことを、私たちは忘れたくないものです。


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