せっかくオーストラリアの女流作家に大船渡を案内したのに(昭和42年5月7日)

昭和42年5月7日の読売新聞岩手版にあった話。

前年の8月23日、オーストラリアのナンシー・ヘレンという作家が取材旅行で大船渡を訪れたので、国鉄大船渡駅の駅員(35歳)とタクシーの運転手(26歳)は、休日を返上してまで大船渡の農漁村を案内した。

彼女はその親切に感激し、「こんどオーストラリアにいらっしゃいよ。旅費は3月ごろオーストラリア大使館を通じて送るわ」と約束してオーストラリアへの帰途に就いたのだという。

果たしてその3月が来た。

彼女からは何の便りもない。

こちらから「あの件どうなりました・・・?」と聞いてみると、「不可能なの。あとは手紙で交流するしかないわ」

どういうことかとさらに聞いてみると、
「オーストラリアは対日感情が悪くて物価も高いので、6か月も招待できないわ」という。

一同がっかり。

 

・・・と、この「ナンシー・ヘレン」という作家は、有名な作家なのだろうか?

ためしに「Nancy Helen Australia」で検索しても出てこない。

ただ、「Nancy Phelan」という作家はいたようである。

1913年8月2日生まれというので、1967年5月7日時点で確かに53歳。

また、Wikipediaでは、以下の記述がある。

She travelled widely throughout Europe, the Pacific, Asia and the Middle East.

なるほど、アジアから中東まで広く旅をしていたようなので、おそらくはこの人であたりではないだろうか。

 

 

 

 

 


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