「ソシュウ」に高城丈二と神楽坂浮子が来ます!(昭和42年5月6日)

昭和42年5月6日の岩手日報に掲載された広告より。

「ソシュウ」とは昭和33年に菜園に開業したキャバレー。

 

というか、管理人は氷河期世代であるためか「高城丈二」「神楽坂浮子」とか言われても全然分からない…

しかしいずれも、Wikipediaに独立した項目があった。

まずは高城丈二から。

いわく、

『37階の男』(1968年、東宝 / 日本テレビ)で共演した中丸忠雄の証言によると、この当時俳優として人気絶頂だった高城は、撮影現場で不遜な態度で振る舞っており、撮影現場等での日常的な遅刻や、相手役の俳優を「あいつ」呼ばわりするなど、共演者やスタッフからの悪評を買っていた。しかしその後、大病を経てから腰の低いやさしい性格に変わっていったという。

なるほど…
この当時人気絶頂であったと。

それがこんな東北の片田舎の盛岡のキャバレーまで営業をかけてくれたわけだ。

当時であれば481系「やまびこ」の1等車にでも乗ってきただろうか。

そして次は神楽坂浮子。

いわく、

東京の深川出身。高校生のときに神楽坂はん子に憧れ、高校を中退して芸者になる。後に、古賀政男門下となり、芸者歌手としてデビューする。市丸や榎本美佐江ら先輩日本調歌手に後押しされ、1956年には「十九の春」(作詞・吉川静夫、作曲・清水保雄:沖縄民謡の「十九の春」とは同名異曲)が大ヒット。プロ歌手の仲間入りを果たす。その後も日本調のみにとどまらず、ドドンパなどのリズムにも挑戦する。また、その美貌から映画にも出演。
NHK紅白歌合戦に2回出場している。
1963年に一般人の男性と結婚。
昭和40年代の懐メロブームの際は、東京12チャンネルの「なつかしの歌声」にも出演し、自身のヒット曲を披露していたが、1979年(昭和54年)に一旦引退する。

なるほど…
それなりのビッグネームでたあったもよう。

「ソシュウ」の広告を追えば、こうした芸能人の営業を見つけることができるだろうか。

 


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