福岡(二戸)・大作神社の修築に奉賛会発足(昭和42年12月6日)

昭和42年12月9日の『デーリー東北』紙は、二戸郡福岡町(現・二戸市)にある大作神社の修築を目的とした奉賛会が12月6日に発足したことを報じている。この神社は、盛岡藩士・相馬大作(本名・下斗米将真)を祀るもので、会場となった福岡町中央公民館には町内外の関係者が集い、老朽化した社殿を後世に伝えるべく修築することが確認された。

相馬大作は江戸時代後期の武士で、兵法家・教育者であると同時に、北方防備の重要性を訴えた先駆的な思想家でもあった。文化年間には蝦夷地(北海道)を視察してロシアの南下政策に危機感を覚え、郷里に私塾「兵聖閣」を開設し、多くの門弟を育てた。質実剛健を重んじたその教育は、真冬でも火を焚かずに兵書を講じたと伝わる。

文政4年(1821年)、相馬大作は「相馬大作事件」として知られる弘前藩主・津軽寧親の襲撃未遂事件を引き起こす。事件の背景には、南部藩と津軽藩との家格争いや、幕府内での地位の逆転があり、津軽藩主が南部藩主と同等の官位に昇進することに対し、大作は藩の無念を晴らそうとした。秋田藩領内で銃撃を計画したが、密告により未遂に終わり、のちに江戸で捕縛され、小塚原で斬首された。享年34歳。

この事件は当時から大きな話題となり、「みちのくの忠臣蔵」として講談や戯作で広まり、吉田松陰や藤田東湖など後の志士たちに影響を与えた。明治以降は、供養碑や招魂碑が建てられ、芝居や小説、映画、漫画でも繰り返し取り上げられてきた。

福岡町に建てられた大作神社は、郷土の誇りである相馬大作の精神を後世に伝える象徴として親しまれてきた。奉賛会では、修築にあたり寄付の募集や記念事業を計画しており、今後は地域を挙げての取り組みが進められる見込みだ。地域の歴史と志を次代へつなぐ、静かだが力強い動きが始まっている。

 


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