【参考】東京ディズニーランドが開場
千葉県浦安市に東京ディズニーランドがオープン。
もちろん岩手とは直接関係ないので、ディズニーランドがオープンしたころ、岩手からディズニーランドに行った時の思い出を。
それは小学校低学年の頃で、大槌町に住んでいた。
大槌駅から新幹線に乗るには、まだ新花巻駅が出来てなかった頃なので、釜石線方面からは北上までいかないといけなかった。
当時、急行「陸中」は新幹線の開業によって仙台行きではなく北上行きとなっていた。
「陸中」は、岩手県沿岸部から仙台や東京志向の列車だったのだ。
盛岡方面へは「はやちね」という急行があった。
ともあれ、キハ52とかキハユニ26が連結された普通列車で花巻へ出るとED75が牽く普通列車で北上へ。
東北本線の客車列車は、山田線の茶色いオハ61とは違って、青と茶色の混ざった編成だった。
そして北上からは新幹線になる。
当時の東北新幹線は、令和の現在でいう「はやぶさ」に該当する列車はなく、仙台~盛岡は各駅停車だった。
だから、北上からでも速達タイプの「やまびこ」に乗れたのだ。
子供の頃、それはうれしかったのだが、裏を返せば「仙台以北は速達列車なんてなくて十分」という国鉄の意思の表れだったかもしれない。
本来、東北新幹線は仙台までしか開通させない予定であったという。
それを、鈴木善幸がゴリ押しして盛岡まで通させたのだ。
自民党の政治家ってそういうもんだ。
・・・ともあれ、新幹線に乗るときはいつも自由席で、それも通路やトイレの所で立ってばかりいた記憶がある。
つまり、国鉄にしてみれば営業的には成功だったということ。
大宮に到着すると、185系の「リレー号」で上野を目指すことになった。
グリーン車が連結されていたが「シルバーカー」というよくわからない位置づけの車両になっていた。
そんな感じで千葉県の親戚の家に行き、翌日はいとことディズニーランドに行ったのだった。
当時、君津駅からの切符は地図式の硬券で、京葉線も開業していなかったので西船橋から地下鉄東西線に乗り換え、浦安駅からバスに乗っていったのだった。
当時のディズニーランドそのものの印象としては以下の通り。
- スペースマウンテンが怖かった。
- イッツアスモールワールドはそごうが提携していた。
- ウエスタンリバー鉄道が一番楽しかった。だって鉄道だから。
それもこれも遠い日となってしまった。