ソウル五輪で県人選手5名(S63.9.17)
昭和63年9月17日から10月2日まで、韓国の首都ソウルで開催された第24回夏季オリンピックは、史上最高の160カ国・地域から約1万5千人の選手や役員が参加する大規模な大会となりました。23競技237種目に世界一の力と技を競ったこの大会は、12年前のモントリオール、8年前のモスクワ、4年前のロサンゼルスと続いた政治的なボイコットの空白が埋められる意義ある大会でもありました。開催国である韓国はソウル市内を東西に流れる漢江の南地区に諸施設を完成させ、漢江再開発の二大事業を基軸に選手村や記者村には212棟の高層住宅を建設するなど、投じた諸経費は4000億円を超えると報じられました。
日本は柴田勝治JOC委員長を団長に22競技337人を派遣し、岩手県関係の選手は前回ロサンゼルス大会の6人に次ぐ5人を数えました。ボクシング競技には、ウェルター級で岩泉高校から拓殖大学を経て京都府体協所属の三浦国宏選手が2回連続出場を果たし、フライ級には宮古水産高校出身で拓殖大学2年の瀬川設男選手が出場しました。また自転車競技の4000メートル団体追い抜きには紫波高校出身で早稲田大学3年の佐々木一昭選手と遠野高校出身で三五所属の岡野知幸選手、ハンドボールには盛岡商業高校出身で大崎電気所属の首藤信一選手がそれぞれ選出されました。
三浦国宏選手は初戦でザンビアのムワンバ選手と対戦し、重いクラスらしい迫力あるパンチの応酬となりましたが、中盤過ぎに相手の一撃を浴びてペースを乱し、第2、第3ラウンドで必死に巻き返しを図ったものの判定負けを喫しました。一方の瀬川設男選手は1回戦でコロンビアのモラレス選手と激しい打ち合いを演じて見事な判定勝ちを収め、その物おじしない態度はメダルへの期待を高めましたが、2回戦でブルガリアのドトロフ選手に敗退しました。
自転車競技の団体追い抜きに出場した佐々木選手と岡野選手らの日本チームは、予選で4分28秒50を記録して当時の世界記録ラッシュに食らいつきましたが、結果は15位で予選通過はなりませんでした。岡野選手は改めて世界の力を知ったと語り、日本記録に近い走りをしながらも上位との差を痛感する結果となりました。
ハンドボールの首藤信一選手は防御の要として活躍し、予選リーグではアイスランドやハンガリー、韓国、チェコといった強豪国と対戦しました。日本チームは5戦全敗で順位決定戦に回り、最終的に11位で大会を終えましたが、体格に見劣りしない相手の強い当たりに圧倒され、当初の作戦を大幅に変えざるを得ない厳しい状況に置かれました。
ボート競技のエイト種目も漢江レガッタコースで行われ、12年ぶりの派遣となった日本チームでしたが、世界の厚い壁に予選敗退の結果となりました。岩手県出身の夏季五輪出場選手は、昭和11年のベルリン大会から数えて延べ29人を数え、今回のソウル五輪でもそれぞれの競技で世界の厚い壁に挑みましたが、当時の記事は国内ではトップでも世界では依然として厳しい実力にあることを示唆して締めくくられています。
