ガソリン配給制により馬車の時代に逆戻り(S13.5.13新岩手日報)
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【検証】アメリカの禁輸前から日本は火の車だった?昭和13年の「新岩手日報」が語る真実
歴史の教科書では、日本の燃料不足は1941年の「石油禁輸(ABCD包囲網)」から始まったと習うことが多いですよね。しかし、今回入手した昭和13年(1938年)5月13日付の「新岩手日報」を開くと、そこには教科書の一歩手前の、驚くべき光景が記録されていました。
1. 「ガソリンが消えた」1938年の衝撃

この記事が書かれた昭和13年は、日中戦争が泥沼化し、日本が「国家総動員法」を制定した運命の年です。実はこの直前の3月、「揮発油及重油販売取締規則」が施行されました。
これによって、それまで自由だったガソリン販売は「切符制(配給制)」へと激変します。軍事優先のため、民間の車に回す燃料は物理的に制限され、一般市民の前からガソリンが忽然と姿を消したのです。
紙面の「ガソリン節約の渦紋」という見出しや、運送費の「一躍15割(2.5倍)値上げ」という数字は、この制度改正によるパニックに近い社会情勢を物語っています。
2. 国策による「代用燃料」への強制転換
さらに驚くべきは、政府の強引なまでの誘導策です。石油不足を補うため、政府はバスやトラックに対し、ガソリン車から木炭・薪自動車への改造を強力にプッシュしました。
これは単なる推奨ではなく、改造には補助金まで出し、半ば強制的に「代用燃料車」へと転換させていったのです。記事にある「軍部でも力を入れる」という記述は、まさに国を挙げた「脱ガソリン」の真っ最中だったことを示しています。
3. 時代に逆行?「荷馬車」の全盛期
こうした国策の結果、岩手県久慈地方では奇妙な「逆転現象」が起きました。
- 最新トラックの沈黙:燃料が割り当てられない、あるいは高すぎて買えないため、トラックがストップ。
- 荷馬車の復活:燃料のいらない「究極のエコ」として、北海道からわざわざ「二輪荷馬車」を導入。
新聞はこれを「珍風景」と報じていますが、近代化を突き進んでいた日本が、国家統制によって「過去の技術」に頼らざるを得なくなった、切実な記録なのです。
4. 「火守り」となった運転手たち:薪自動車の実態
救世主として登場した「薪(まき)自動車」ですが、その実態は過酷なものでした。
「煙を吐き出す薪自動車出現」
木炭や薪を不完全燃焼させて発生したガスでエンジンを回すこの車。記事ではメリットが並べられていますが、実際には「始動に30分以上」「坂道では客が降りて押す」「運転手は煤(すす)で真っ黒」という、文字通り煙たい日常が待っていました。
5. 歴史の「空白」を埋める一枚の新聞
1941年の石油禁輸は確かに致命傷でしたが、日本人はその3年も前から、切符制や補助金による強制改造といった「戦時下の異常事態」を生き始めていました。
「石油の一滴は血の一滴」という言葉が現実味を帯びる直前、地方都市の岩手でも、人々は荷馬車や薪自動車を駆使して、必死に日常を繋いでいたのです。
「アメリカに止められたから燃料がなくなった」のではなく、「すでに国策で限界まで絞られていた」。この新聞記事は、教科書の行間に隠された、当時の人々のリアルな苦労を教えてくれます。
皆さんの周りにも、こうした「激動の予兆」を伝える資料が眠っているかもしれません。
