【歴史秘話】昭和10年3月10日、盛岡の街が「戦場」になった日

岩手日報のアーカイブから、非常に興味深い紙面を見つけました。今から約90年前、昭和10年(1935年)3月10日の紙面です。
そこには、現在の手代森や内丸、大通り周辺が軍事演習の舞台となっていた驚きの記録が残されていました。


けふ陸軍記念日:早朝8時の号砲

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紙面で最も目を引くのは「けふ陸軍記念日」という大きな見出しです。
この日は日露戦争の奉天会戦勝利を祝う記念日で、当時の盛岡市内は早朝から熱狂に包まれていたようです。

  • 午前8時: 2発の花火が打ち上げられ、演習開始の合図となる。
  • 参加者: 中等学校生徒、青年訓練所生徒、郷軍(退役軍人)など約6,000名。
  • クライマックス: 午前11時より、1万人を超える大行列が市内を行進。

市街戦の舞台となった「不来方城(盛岡城跡)」

特に注目したいのが、「不来方城攻防演習」の記事です。
当時の学生や兵士たちが、実際に盛岡の街中を使って実戦さながらの動きをしていたことが記されています。

「市内中等校生徒等六千名を動員して火蓋を切る、約二時間に亙つて全市悉く戦塵に煙るべく…」

現在の静かな盛岡城跡(岩手公園)や中津川沿いで、数千人が入り乱れる演習が行われていたとは、今では想像もつきません。

林陸軍大臣の訓示と時代の空気

紙面中央には、時の陸軍大臣・林銑十郎の談話が大きく掲載されています。
タイトルは「先輩の偉勲を想ひ 現在の難局に処せ」

日露戦争の勝利を回顧しつつ、当時の国際情勢(国際連盟脱退後の孤立など)を「難局」と呼び、国民に団結を促す内容となっており、時代の緊迫感が伝わってきます。

その他、当時の岩手のトピックス

項目 内容
満洲国皇帝来訪記念切手 4月2日から販売開始。両国の親善を象徴するデザイン。
各地の催し 黒石尻(水沢)、岩谷堂、招魂村、宮古など県内全域で記念行事。
身近な話題 「暖心な似内さん」という美談や、供託金の整理など市民生活の記事。
管理人の独り言:
歴史的な資料を読み解くと、私たちが毎日歩いている道が、かつては全く違う意味を持っていたことに気づかされます。
こうした古い新聞記事は、地域の歩みを知るための貴重なタイムカプセルですね。