師走の街に復活する豆銀糖・羊羹・蕎麦・グリコ(S23.12.14新岩手日報)
1948年12月14日
2026年3月24日
Contents
【昭和23年の記憶】岩手の街に「甘いもの」と「自由」が帰ってきた日
先日、非常に貴重な資料を目にする機会がありました。昭和23年(1948年)12月14日付の「新岩手日報」です。

終戦から3年。そこには、長い我慢の時代を経て、ようやく岩手の食文化が息を吹き返した瞬間の喜びが凝縮されていました。
■ 「復活」という言葉に込められた重み
記事の見出しには、躍動感あふれる文字でこう記されています。
「名物食べものの復活」
豆銀糖・ようかん・おそば……等々
現代の私たちからすれば「なぜお菓子や蕎麦がニュースに?」と不思議に思うかもしれません。しかし、当時は国家による「統制経済」の真っ只中。自由にお店を開いたり、好きなものを買ったりすることは法律で制限されていたのです。
| 当時の制限内容 | 理由・背景 |
|---|---|
| 砂糖の使用禁止 | 極端な物資不足により、お菓子作りは「贅沢」とされ、原材料の入手が困難でした。 |
| 外食券制度 | お蕎麦一杯を食べるにも、国が発行する「切符」が必要な時期がありました。 |
| 物価統制令 | 商品の価格は政府が決定。勝手な販売は「闇取引」として厳しく取り締まられました。 |
つまり、この「復活」とは、単に品切れが直ったということではなく、「お天道様の下で、堂々と商売をして良い」という許可が下りたという、歴史的な解禁宣言だったのです。
■ 師走の街に溢れる「笑顔」と「グリコの山」
記事には「表情豊かな48年の師走街」とあり、活気を取り戻しつつある盛岡などの様子が描かれています。
- 豆銀糖(まめぎんとう): 岩手の誇る伝統菓子が、再び店先に並びました。
- 子供たちの憧れ: 写真には、山のように積まれた「グリコ」を囲む子供たちの姿が。それまで闇市でしか見られなかった高級な甘味が、ついに彼らの手に届くものになったのです。
- 自由販売の拡大: 同じ紙面には「靴が自由に買える」という記述もあり、生活全般が「配給制」から「自由な買い物」へとシフトしていく過渡期であったことがわかります。
■ 結びに:当たり前の幸せを噛みしめる
昭和23年12月。当時の岩手の人々にとって、一杯の蕎麦や一切れのようかんは、どれほどの感動を持って迎えられたのでしょうか。
この新聞記事は、今の私たちが享受している「自由に選んで食べられる幸せ」が、先人たちの復興への努力の上に成り立っていることを静かに教えてくれている気がします。
(出典:昭和23年12月14日 新岩手日報 紙面より)
