盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日)
1928年9月4日
2025年7月29日
昭和3年(1928年)9月4日の岩手日報には、盛岡市呉服町にあった洋品店「オゾザワ呉服町支店」の広告が掲載されている。「秋冬洋服均一注文(特価的薄利計画)」と題され、燕尾服(エンビ服)、モーニングコート、フロックコートといった礼装がずらりと並ぶ。
たとえば価格は、燕尾服が75円より95円、フロックコートが70円より90円、モーニングコートが80円より85円、黒上下略服が55円より65円、そして三つ揃いの背広が38円より60円となっている。官吏(公務員)の初任給が60〜80円程度だった当時の物価水準を考えると、背広ひとつでも月給の半分から1か月分、燕尾服にいたっては月給を超える高級品であり、これらの品を誂えるのは限られた層に限られていた。
広告が出された「呉服町」は、現在の肴町にあたる。かつてこの地域には旧第九十国立銀行(現・もりおか啄木・賢治青春館)、盛岡郵便局(当時)、盛岡信用金庫本店などが立地しており、盛岡の中でも金融街としての性格を持っていた。そうした場所でフォーマルな洋装が売られていたというのは、ごく自然なことだったのかもしれない。銀行員や官吏、あるいは教員や名士といった、礼装を必要とする場面のある人々がこの町を行き交っていたことがうかがえる。
「呉服町」という地名に和装の名残を感じさせつつ、実際には燕尾服やフロックコートを売る洋服店が並んでいたというのも、時代の転換期を示す印象的な光景である。昭和初期、地方都市・盛岡においても、洋装の波は着実に浸透していた。広告の片隅に記された「電話三六一乙」の番号にも、どこか懐かしい静けさが漂っている。