軍事

【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」 備考※1

【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」

岩手とは直接関係ないニュースではあるが、時代相を知る資料として。 満州事変の事実関係の調査を行った「リットン調査団」の調査報告書を国際連盟の場で採択することになった。 要は「日本が悪い。満州から手を引け」と。 松岡洋右は流暢な英語で長広舌の演説を行ったが、結局は42対1で採択される。 これに対し、松…
愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日)

昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝…
工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(昭和6年9月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(昭和6年9月15日)

昭和6年9月15日の岩手日報より。 工兵第8大隊と輜重兵第8大隊の連合演習が、日詰付近の北上川両岸で行われることとなった。 これは一定の想定の下に材料授受や渡河の訓練を行うものである。   写真は9月14日盛岡(観武ヶ原?)から日詰に行軍する工八、輜重八の両大隊の隊列。 おそらくは盛岡市内…
一関中学の野外教練で卒倒者続出(昭和4年9月2日) i一関・西磐井郡

一関中学の野外教練で卒倒者続出(昭和4年9月2日)

昭和4年9月5日の岩手日報より。 一関中学校(現:一関一高)では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 ところが、この時期、後者の第1期工事が終了したものの、内部が全く完成していなかったので、毎日2時間の野外教練を行うことになった。…
陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日)

昭和3年9月4日の岩手日報より。 陸軍特別大演習は、今年は盛岡でやることが決まってはいたが正式な日程は決まっていなかった。 それが、以下のように決まったのである。 第1日:10月6日 花巻地方 第2日:10月7日 日詰地方 第3日:10月8日 盛岡地方 また、組分けは以下の通りであったと言う。 南軍…
歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(昭和3年9月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(昭和3年9月3日)

昭和3年9月3日の岩手日報より。 9月4日から二日間施行される、歩騎連合演習のため、康平大31連隊油川大隊と機関銃隊の総員543名が、9月3日の午後1時半に盛岡着の臨時列車で到着した。 そして、新田町の片倉製糸場に本部を置き、兵員は新田町・片原・厨川村の1部民家に泊まることとなった。 写真は、夕顔瀬…
盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日)

昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと…