備考※1 2月 24日 1933 【参考】松岡洋右の国際連盟脱退演説「我が代表堂々退場す」 岩手とは直接関係ないニュースではあるが、時代相を知る資料として。 満州事変の事実関係の調査を行った「リットン調査団」の調査報告書を国際連盟の場で採択することになった。 要は「日本が悪い。満州から手を引け」と。 松岡洋右は流暢な英語で長広舌の演説を行ったが、結局は42対1で採択される。 これに対し、松… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 31日 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 4日 1932 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(昭和7年1月4日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 1月4日に、宮古町で下閉伊郷軍仮装動員がおこなわれた。 職員召集令状によって集められたようで、集まってからは林大佐からの訓示があったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1931 工兵第8大隊・輜重兵第8大隊の連合演習(昭和6年9月15日) 昭和6年9月15日の岩手日報より。 工兵第8大隊と輜重兵第8大隊の連合演習が、日詰付近の北上川両岸で行われることとなった。 これは一定の想定の下に材料授受や渡河の訓練を行うものである。 写真は9月14日盛岡(観武ヶ原?)から日詰に行軍する工八、輜重八の両大隊の隊列。 おそらくは盛岡市内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1931 軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(昭和6年1月1日) 昭和6年1月1日の岩手日報より。 流石の軍隊でも正月だけは楽しかったようで「除隊に次ぐ楽しみ」とある。 戦時中なら「祝出征」で、除隊が楽しみだなんて表立っては言えなかったのではないだろうか。 まだ何も起こっていなかった頃のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1930 トラホームは「虎眼」?(昭和5年3月4日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 水沢町では3月4日に壮丁者(徴兵年齢に達した者)にトラホームの検診を行うという。 ところで見出しには「虎眼」。 Googleで検索する限りでは、トラホームを「虎眼」とするのは一般的ではないようだ。 そして昭和5年は午年であったようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1930 西磐井郡老松村から少年航空兵(S5.3.1岩手日報) 県内では海軍志願兵徴募検査が行われていたが、西磐井郡老松村(現:一関市花泉町)から少年航空兵が出たことを報じている。 … 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この年から、海軍では少年航空兵を募集することになった。 横須賀鎮守府管内では40名の枠であったが、岩手県内だけでも相当の数の志願者があることを報じている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 2日 1929 一関中学の野外教練で卒倒者続出(昭和4年9月2日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 一関中学校(現:一関一高)では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 では、9月2日に夏休み明けの始業式を行うことになった。 ところが、この時期、後者の第1期工事が終了したものの、内部が全く完成していなかったので、毎日2時間の野外教練を行うことになった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1928 壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日) 昭和3年9月6日の岩手日報より。 盛岡の騎兵第八連隊と弘前歩兵第三十一連隊油川大隊は合同で演習をしていたようだが、その写真。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 陸軍特別大演習の地図を予約販売します!(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の特約販売店では、10月に行われる陸軍特別大演習の地図を販売するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 陸軍特別大演習の日程が決定(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 陸軍特別大演習は、今年は盛岡でやることが決まってはいたが正式な日程は決まっていなかった。 それが、以下のように決まったのである。 第1日:10月6日 花巻地方 第2日:10月7日 日詰地方 第3日:10月8日 盛岡地方 また、組分けは以下の通りであったと言う。 南軍… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1928 歩兵第31連隊油川大隊が盛岡入り(昭和3年9月3日) 昭和3年9月3日の岩手日報より。 9月4日から二日間施行される、歩騎連合演習のため、康平大31連隊油川大隊と機関銃隊の総員543名が、9月3日の午後1時半に盛岡着の臨時列車で到着した。 そして、新田町の片倉製糸場に本部を置き、兵員は新田町・片原・厨川村の1部民家に泊まることとなった。 写真は、夕顔瀬… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1927 入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(昭和2年1月7日) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 おそらくは弘前の歩兵連隊であろうか。 入営兵を見送る客で盛岡駅は賑わっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1927 盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) 昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 4日 1927 陸軍始めの観兵式は中止(昭和2年1月4日) 昭和2年1月4日の岩手日報より。 毎年1月8日には「陸軍始め」として観武ヶ原の騎兵第三旅団では観兵式を行っていたようだが、この年は大正天皇崩御による諒闇のため中止とのことであった。 … 続きを読む