h水沢・江刺・胆沢郡 11月 21日 1961 前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 15日 1961 水沢市長「東北自動車道ができたら水沢~東京は3時間か4時間で行けるだろう」(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市長はこの時、東京・京都方面に出張中であったが、11月15日に帰庁した。 そして記者に語る所では「東京の東北自動車道促進大会では、現在の予定である昭和39年度調査終了、昭和40年度着手という計画を昭和38年度から実施着工できるように促進方策を出し関係方… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 25日 1961 釜石市の財政は釜石製鉄所しだい(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石市の予算当局は、地方交付税の査定のため盛岡の県庁に出ていた。 地方交付税は、合併(S30.4.1甲子村、鵜住居村、栗橋村、唐丹村)による特例期間が切れて不交付団体になるが、全国市議会議長会や全国市長会の折衝で激変緩和措置が取られることとなった。 それ以上… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 22日 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 29日 1961 「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日) 昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 釜石の八雲小学校は「通学路のない学校」と言われていた。 雨が降ると学校の裏の下水があふれだし、学校の前に汚水があふれるという非常に不衛生な状態となっていた。 そこで、八雲小学校の父兄が通学路となる道に土俵を並べて通学路とすることにした。 釜石市でも中妻地区の… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 26日 1961 宮古で消防団のポンプ車が出動したが、酔っ払い運転で横転し5人負傷(昭和36年4月26日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 この4月26日に日付が変わった0:50頃のこと。 宮古の鍬ケ崎で火事が発生した。 そこで、消防団のポンプ車が出動することになったが、なにしろ深夜なので消防団員は既に晩酌で酔って寝ている。 心地よい眠りを起こされて出動させられたのだ。 酔っ払い運転にはなるが、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1961 釜石のタクシーの不審な女客(昭和36年3月1日) 昭和36年3月2日の岩手東海新聞より。 3月1日の夜、釜石市大町のバー「白樺」から女給を乗せた西円タクシーは、指示されるままに大平の出光興産油送桟橋のところまで車を走らせた。 天神町に住んでいる24歳のその女給は降りる際、「さようなら」「同僚に私の写真を実家に送ってくれるように頼んでください」などと… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 12日 1961 釜石市営火葬場で待合室難(昭和36年1月12日) 昭和36年1月12日の岩手東海新聞より。 釜石市大只越にある釜石市火葬場では、火葬の際の会葬者が多くなっており、3件、4件と火葬があった場合、待合室が非常に混雑している。 この時代を重く見た釜石市衛生課では、会葬者をある程度限定してもらうことを市民に呼びかける一方で、待合室を区切る計画を進めている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 7日 1961 鉄の町・釜石の空気中の塵を電流で調査する新兵器(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 鉄の都・釜石市では、交流式電気集塵機を購入した。 この集塵機によって、浮遊煤塵の調査を行うのだと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 6日 1961 昭和園グランドで釜石の消防出初式(昭和36年1月6日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 釜石市の消防勤め式は、釜石消防署、釜石消防団の自動車23台、団員490名が参加して釜石市中島の昭和園グランドで行われた。 五葉おろしが吹き、まだ雪が残っている昭和園グランドに、ラッパの合図と共に集合し、4列横隊に整列した。 そして、人員報告の後消防統監が、「こ… 続きを読む
事件・犯罪・司法 10月 12日 1960 【参考】社会党浅沼稲次郎委員長刺殺事件(昭和35年10月12日) 日比谷公会堂で右翼少年に刺される。 https://youtu.be/J1nntK2HnfU… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 21日 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 8日 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1960 チリ地震津波後初めての防災の日(S35.9.1岩手東海新聞) この年の5月24日、チリ地震津波が襲来。 関東大震災から37年目の「防災の日」は、津波被害を改めて考える年となった。 それで、釜石市などの防災担当者に、津波対策を聞いている。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一ノ関駅の改修計画(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一ノ関駅には改修計画があり、国鉄側から設計図は出ていたが地元側の敷地計画が未完成という状況だった。 ちなみに一ノ関駅の駅舎は、この記事から10年後の昭和45年に完成している。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一関二高でアンケート「岸内閣を支持するか」(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一関二高で「岸内閣を支持するか」アンケートをとったところ、「支持しない」が上回った模様。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 2日 1960 山田町合併5周年(昭和35年5月1日) 昭和35年5月1日の岩手東海新聞より。 山田町は昭和30年に昭和の大合併で山田町・織笠村・大沢村・船越村・豊間根村の1町4村を合併して発足した。 それで、5月1〜3日に祝賀会が開催された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 8日 1960 浩宮さま御生誕記念で川徳デパートでは赤ちゃん写真募集(昭和35年3月8日) 昭和35年3月8日の岩手日報より。 この年の2月23日に浩宮徳仁殿下がお生まれになった。 そこで、盛岡の川徳デパートでは赤ちゃんの生活写真を募集することにしたのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 6日 1960 火災予防週間の最終日に消防車は市内を行進(昭和35年3月6日) 昭和35年3月7日の岩手日報より。 車両火災予防週間の最終日である3月6日の9時40分、盛岡市では、全消防団に非常呼集をかけて、盛岡市内丸の岩手県公会堂前から消防車でパレードを行った。 写真は岩手県公会堂前とすぐわかる。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 3日 1960 新宮様ご誕生に県南の市町村も祝賀広告(昭和35年3月3日) 昭和35年3月3日の岩手日報より。 この年の2月23日に徳仁様が御誕生された。 これを祝福して、県南の市町村が岩手日報に広告を出したのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 14日 1960 盛岡で雪の中を安保反対のデモ行進(昭和35年1月14日) 昭和35年1月15日の岩手日報より。 日米安保条約改定阻止運動の岸首相渡米・調印反対の全国統一行動の1月14日午後6時から盛岡市内丸の県公会堂で行われた。 大会には、盛岡市内からだけではなく、松尾鉱山からもトラックに分乗して労働組合員150名が盛岡までやってきた。 大会は20分で終了し、公会堂から盛… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1960 岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日) 昭和35年1月13日の岩手日報より。 この時期、バイクの「カミナリ族」による事故が社会問題になっていた。 それまでもスピード違反の取り締まりはやっていたのだが、やり方としては、2点間に警察官が立ち、ストップウォッチで計測して有線電話で連絡を取り合うというものだった。 そこで、県警本部は自記式速度計を… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 大槌町で公営住宅工事進む(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 大槌町蟇川原の公営住宅の工事が進んでいるという。 というか蟇川原ってどこ? ・・・と思ったら、大槌町第21地割という、大槌川の河口の安渡側だったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 6日 1960 釜石市消防団の出初式(昭和35年1月6日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石市消防団は、釜石市中心部で出初式を行った。 写真は錦館前であるという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・中妻地区を緑の理想都市に(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この当時、釜石駅の西側の中妻地区は、新聞の表現をそのまま借りれば「釜鉄ビル住宅、ハーモニカ長屋の間に無計画にひしめき合うスラム街」だったのだと言う。 これを、5年後には近代都市として再生させようと言う計画であった。 釜石市が都市計画区域11万坪、2億9000万… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 10年後の釜石の未来図(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 昭和35年の元旦を記念して、「10年後の釜石の理想図」と言う記事が出ている。 それを、釜石市都市計画課の23歳の職員に聞いてみたのである。 まずは、工業都市として、人口増加をどうするか、また観光客の楽しめる都市としての名を轟かせようと言うことであった。 また、工場… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 22日 1959 仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) 昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 20日 1959 山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) 昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。 … 続きを読む