c久慈・九戸郡 12月 25日 1955 久慈地方「ヒエではなくお米を常食できるように開田工事をしましょう!」(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 九戸地方では、ヒエではなくお米を常食できるよう開田工事を進めているという。 長内土地改良区では、来年の田植え時期を目標に用水路の掘削工事を進めているという。 しかし、岩盤が固いところもあり爆破が主な作業となっているという。 これによって見込まれる米の増産量は6… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 29日 1955 大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 23日 1955 昼は農耕の手伝い、夜はランプで授業 昭和30年11月26日の岩手日報より。 葛巻町の江刈中学校江刈川分校では本来17名の生徒がいるはずだった。 しかし、農作業の手伝いのために長欠している生徒がほとんどであった。 このため、教諭は生徒や部落民と話し合い、ランプで夜9時まで授業をすることに。 ちなみに、以下のページによれば、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 20日 1955 新米のシーズンは担ぎ屋のシーズン 昭和30年11月20日の岩手日報より。 遠野地方の穀倉地帯では、新米のシーズンになると、釜石や大槌あたりから列車に乗って担ぎ屋が大挙して来るという。 農家としても、供米よりも現金化が早いので、1升95円程度の安値でも売るのだという。 さながら、釜石線の列車は「担ぎ屋列車」の様相を呈していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 20日 1955 リンゴ出荷に大忙し 昭和30年11月20日の岩手日報より。 南昌山のふもと紫波郡都南村ではリンゴの出荷に大忙しであった。 そんな写真記事。 … 続きを読む
j東磐井郡 11月 6日 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 2日 1955 県北ではヒエが豊作(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 県北では特産のヒエ刈りが始まった。 県北の全耕地の3割(2700町歩)を占めるヒエは2年続きの冷害であったが、この年は32000石はとれるという予想であった。 写真は浄法寺にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1955 岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 岩手町のキャベツは、普段であれば9月に出回っていたところ、この年は夏蔬菜が早く終わってしまい値が良いので、8月下旬には出回るようになり、貨車が足りないほどであったという。 ここ数年は冷害であったが、この年は豊作であったという。 1俵(6貫)で、大阪300円、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 26日 1955 盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) 昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人… 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 19日 1955 二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 6日 1955 リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 リンゴは「夏の味覚」なのであったという。 本場の青森よりも減収が予想はされていたが、稗貫地方では平年並みの作柄であったという。 紅魁・旭などの早生はこの時期の収穫で、1貫あたり270~280円で市場に卸されたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5月 28日 1955 大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日) 昭和30年6月1日のデーリー東北より。 5月28日、ラジオ東京の録音班3名が、岩手県開拓課員の案内で、この辺大野村弥栄の八種開拓農場を訪問し、現場を録音した。 取材テーマは「開拓地の共同組織はなぜ潰れたか」と言うものであり、昭和22年から25年頃まで、当時九戸地方に見られなかった共同組織による機械化… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 ゴム車の御用命はこちら 昭和30年5月17日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡と北上の販売店が「在庫豊富」を謳い文句にして宣伝している。 見た限りでは、大八車のうち車輪がゴムであるものをそのように呼んでいるようだ。 現在、Googleで「ゴム車」で検索しても、自由工作で輪ゴムを使ったはずみ車が出てくるだけで、このような… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 14日 1955 一関で大豆畑を食い荒らすカタツムリを火炎放射器で殲滅だ!(昭和29年1月14日) 昭和29年1月14日の岩手日日より。 前の年、一関の中里沖、長島、舞川、平泉等の北上川流域の大豆畑350町歩では、ウスカワマイマイが大発生し、2千万円にも及ぶ被害を与えたのだと言う。 化学薬剤でも効果はなかったのだと言う。 そこで、一関農業改良普及事務所では、今度は火炎放射器による撲殺を計画した。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 ナスの七つ子とナンバンカラシの双子(S29.9.1岩手日報) 花巻市内の農家で、ナスの七つ子と、ナンバンカラシの双子ができて話題になっていた。 ナンバンカラシとはおそらく唐辛子のこと。 確かに管理人の祖母(1915−2003)は唐辛子を「ナンバン」と呼んでいた。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 花巻温泉郷に響く豊年歌(S29.9.1岩手日報) この年は稲穂が実り、花巻温泉郷の鉛温泉や志戸平温泉は豊作を祝う歌声が響いていた。 しかしよくもまあ女湯で撮影しようと思ったものである。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1954 田の草取りの薬「二・四D」講習会をします!(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 農薬「二・四D」の講習会を県内各地で行うという。 現在でも「2,4-D」は農薬としてAmazonでも売られている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 14日 1954 観武(みたけ)ヶ原の開拓農民が盛岡市内で保安隊誘致反対署名(昭和29年4月14日) 昭和29年4月15日の岩手日報より。 当時、自衛隊は「保安隊」と呼ばれ、その本部は「保安庁」であった。 旧軍の頃は盛岡市の北西の「観武ヶ原」に工兵第8大隊他がこんきょちとしていたが、戦後は引揚者の住宅地や開拓農地となっていた。 現在でもその界隈は「盛岡市みたけ」となっているが、感じで書くと「観武」と… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 24日 1954 一関地方の農家で畔塗り始まる(昭和29年3月18日) 昭和29年3月19日の岩手日日より。 「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、3月18日は彼岸の入りとなり、雪に覆われていた山々も地肌を見せるようになり、暖かさが増していく時期であった。 一関土木事務所によれば、18日の最高気温は12度であり、オーバーや流行の真知子巻きもかなぐり捨てて形相で外に出るようにな… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 14日 1954 盛鉄公安室ではかつぎ屋を560件検挙 昭和29年3月14日の岩手日報より。 昭和28年は凶作の年であり、米どころの胆沢郡でも代用食という状況であった。 それで全国的にもコメ不足となり、担ぎ屋が至る所に横行した。 1月以降、国警県本部や盛鉄公安室ではその取り締まりを強化することとした。 盛鉄局管内では244件、2月は216件の検挙となり、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 6日 1954 岩手県経済連の女子事務員に新しい事務服 昭和29年3月6日の岩手日報より。 ある程度以上の年齢であれば「岩手県経済連」と言えば「農協」のことであると分かることと思う。 社会人野球でも強豪であった。 当時は盛岡の呉服町(現在の中の橋の近くの第九十銀行跡のあたり)にあった。 その岩手県経済連で、女子事務員に新しい事務服というニュースである。 … 続きを読む
l全県 3月 3日 1954 農協貯金の東西横綱は湯口村と湯本村 昭和29年3月3日の岩手日報より。 県内の農協の貯金高番付が県信連によってまとめられた。 【東方】(単位:千円) 横綱 稗貫郡湯口村 101,908 大関 紫波郡志和村 97,367 関脇 紫波郡徳田村 89,744 小結 紫波郡飯岡村 69,543 前頭筆頭 江刺郡稲瀬村 前頭2枚目 稗貫郡宮野目… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 20日 1953 ヤミ米の上昇で米どころまでが代用食へ(昭和28年10月20日) 昭和28年10月20日の胆江日日新聞より。 この時代、まだ食糧管理制度ではコメは配給制であり、国への供米を通さない米は「ヤミ米」として厳しく取り締まられていた。 しかしこのヤミ米の値だが急に上がりだし、米作地帯ですら戦時中のおかゆの時代に逆戻りするのではないかと戦々恐々であった。 お米の配給は町村は… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 2日 1953 水沢職業安定所「静岡にミカン採取の出稼ぎに行きませんか!」(昭和28年10月2日) 昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 水沢公共職業安定所が、静岡におけるミカン採取の農業労務者を募っている。 人員は150名で、10月5日までに各町村役場に申し込んでほしいとしている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 3日 1953 羽田村の破蔵事件は一関で犯人逮捕(昭和28年9月3日) 昭和28年9月5日の胆江日日新聞より。 8月28日に羽田村で倉庫が荒らされ北上川の船で盗み出された事件であるが… 9月3日、一関市内で犯人が逮捕された。 それは。前科5犯の34歳の男であった。 盗んだ小麦はどうしたのか。 一関市内で1万6千円で売り捌いたのだという。 姉体村でも小舟盗難の余罪があるの… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 1日 1953 羽田村の破蔵事件は一関で小舟発見(昭和28年9月1日) 昭和28年9月1日の胆江日日新聞より。 先日、江刺郡羽田村で農協倉庫が荒らされ、小麦が8俵盗み出され小舟で運びだされた事件があった。 その小舟は、一関地区警察署により一関市真滝地内の北上川で船が2隻発見され、羽田村と姉体村の2件のものであると確認された。 盗まれた小麦8俵はもう持ち去られ、警察では捜… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 31日 1953 倉庫破りは船で小麦を盗み出す(昭和28年8月31日) 昭和28年8月31日の胆江日日新聞より。 江刺郡羽田村の北上川渡船場の、村所有の小舟が鉄線を切られて盗まれていることが分かった。 下流域を探していると、羽田農協の倉庫がバリで開けられ小麦8俵が盗まれていることが判明した。 事件は国警水沢地区警察署に通報された。 この日、平泉で俵を積んだ船が下っている… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 28日 1953 農家の厄日・二百十日は安泰か(S28.8.28胆江日日新聞) 立春から数えて、210日目にあたる「二百十日」は、台風の特異日であり農家からは恐れられていた。 そんな二百十日は安泰ではないかとの仙台管区気象台の予報。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 15日 1953 荷馬車がパンクして車輪が飛びリンゴ売りの女性が死亡(昭和28年8月15日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 一関市大町の石橋ホテル前で、鉄屑を満載した荷馬車が通行していた所突然パンクして車輪がもげてしまった。 そのもげた車輪は勢いよく飛び出し、路上でリンゴ売りをしていた44歳の女性の胸部に当たったからたまらない。 直ちに磐井病院に収容はされたものの、胸部打撲と肋骨骨折… 続きを読む