i一関・西磐井郡 5 9月 1958 ヤミ米の主要ルートは花泉か(S33.9.5岩手報知) 当時、米はまだ国が管理していた。 だから、国が管理する以外の米は「ヤミ米」として扱われ、警察署の取り締まりの対象であった。 一関警察署では、その流通のルートは花泉をとってくるのではないかと警戒の網を強めていた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 久慈に葉タバコ収納庫(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈地方では、昭和30年から葉タバコの生産を始めたというが、このほど収納庫が完成したのだという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 18 1月 1958 久慈川の用水改良が6年越しに完成へ(昭和33年1月18日) 昭和33年1月18日のデーリー東北より。 久慈川の用水改良工事は、岩手県の土地改良事業の中でも最大のプロジェクトと位置付けられていたが、その難工事が大詰めに達したという。 この工事の完成により、年間2,700石の増産が見込めるという。 ところで、この2,700石とは、現在の基準で言えばどのくらい?と… 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 20 4月 1957 農繁期前に賑わう県北の市日 昭和32年4月20日の岩手日報より。 県北ではこの時点で「○日市」の伝統が残っており、作業衣、着物、農機具など農作業に必要なものはすべてここで揃えることができたという。 この時期は農繁期前で、ひときわ賑わっていたという。 写真は二戸郡福岡町。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 4月 1957 遠野署が釜石線の列車でヤミ米46俵押収(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 遠野警察署は3年ぶりに釜石線でのヤミ米の取り締まりに乗り出したという。 遠野駅を14:08に発車する釜石行きの415列車を急襲、釜石へ運ぼうとしていたヤミ米134包、2760kgを押収し、釜石市内の男1名、女4名を食糧管理法違反で逮捕した。 列車の網棚や椅子の下… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 3月 1956 両磐地方では葉タバコの種まきが最盛期(昭和31年3月25日) 昭和31年3月25日の河北新報岩手版より。 葉タバコの産地である県南の一関・両磐地方では葉タバコの種まきの最盛期に入った。 増反計画が順調に進みまた品質改善の努力もあり、この地方だけですでに1700町歩、売り上げは7億円近くなっていたと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 3月 1956 各地で初午行事(昭和31年3月16日) 昭和31年3月17日河北新報岩手版より。 3月16日は、旧暦で初午にあたり、各地では火防祭などが行われた。 「初午」と言うのは、稲荷信仰に基づくものと言われ、豊作祈願をすることが多いと言う。 また、「初午が早い年は火事が多い」と言う俗信があるようで、消防団の出初め式や、火防祭を行うところもあると言う… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 2月 1956 紫波郡では天然氷切り出しの最盛期(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 紫波郡は天然氷の産地であったが、その積み出しに大忙しであった。 ただ、三陸地方が不漁であること、人造氷に押されて苦しかったようではある。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 1月 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 昭和31年の農事ごよみ(昭和31年1月1日) 昭和31年1月1日の岩手日報より。 紙面一面に「農事ごよみ」が掲載されている。 「南部めくら暦」と違って、字は書いているが、こうした農業歴は農家にとって欠くべからざるものであったことが見て取れる。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 25 12月 1955 二戸郡では凍豆腐の最盛期(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 凍豆腐の産地である二戸郡では、生産の最盛期を迎えているという。 写真はこの年の3月に二戸郡福岡町に合併したばかりの斗米村にて。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 25 12月 1955 久慈地方「ヒエではなくお米を常食できるように開田工事をしましょう!」(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 九戸地方では、ヒエではなくお米を常食できるよう開田工事を進めているという。 長内土地改良区では、来年の田植え時期を目標に用水路の掘削工事を進めているという。 しかし、岩盤が固いところもあり爆破が主な作業となっているという。 これによって見込まれる米の増産量は6… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 11月 1955 大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 11月 1955 昼は農耕の手伝い、夜はランプで授業 昭和30年11月26日の岩手日報より。 葛巻町の江刈中学校江刈川分校では本来17名の生徒がいるはずだった。 しかし、農作業の手伝いのために長欠している生徒がほとんどであった。 このため、教諭は生徒や部落民と話し合い、ランプで夜9時まで授業をすることに。 ちなみに、以下のページによれば、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 11月 1955 新米のシーズンは担ぎ屋のシーズン 昭和30年11月20日の岩手日報より。 遠野地方の穀倉地帯では、新米のシーズンになると、釜石や大槌あたりから列車に乗って担ぎ屋が大挙して来るという。 農家としても、供米よりも現金化が早いので、1升95円程度の安値でも売るのだという。 さながら、釜石線の列車は「担ぎ屋列車」の様相を呈していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 11月 1955 リンゴ出荷に大忙し 昭和30年11月20日の岩手日報より。 南昌山のふもと紫波郡都南村ではリンゴの出荷に大忙しであった。 そんな写真記事。 … 続きを読む
j東磐井郡 6 11月 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
b二戸・二戸郡 2 9月 1955 県北ではヒエが豊作(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 県北では特産のヒエ刈りが始まった。 県北の全耕地の3割(2700町歩)を占めるヒエは2年続きの冷害であったが、この年は32000石はとれるという予想であった。 写真は浄法寺にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1955 岩手町ではキャベツを大漁出荷(昭和30年9月2日) 昭和30年9月2日の河北新報岩手版より。 岩手町のキャベツは、普段であれば9月に出回っていたところ、この年は夏蔬菜が早く終わってしまい値が良いので、8月下旬には出回るようになり、貨車が足りないほどであったという。 ここ数年は冷害であったが、この年は豊作であったという。 1俵(6貫)で、大阪300円、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 8月 1955 盛岡市下太田でスイカ泥棒の少年を斬り付け瀕死の重傷を負わせる(昭和30年8月26日) 昭和30年8月27日の河北新報岩手版より。 8月26日の未明、盛岡市下太田のスイカ畑で、10人組の少年がスイカ泥棒を企てようとしていた。 そうすると犬が吠える。 畑の入口に行ってみると、少年達がスイカ泥棒をしようとしているではないか! カッとなった65歳の主人は、除草ぐわを投げたらそれが命中して1人… 続きを読む
b二戸・二戸郡 19 8月 1955 二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 6 8月 1955 リンゴの作柄は平年並み(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 リンゴは「夏の味覚」なのであったという。 本場の青森よりも減収が予想はされていたが、稗貫地方では平年並みの作柄であったという。 紅魁・旭などの早生はこの時期の収穫で、1貫あたり270~280円で市場に卸されたという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 6月 1955 トマト・ナス・瓜はライ麦畑の間に(S30.6.10デーリー東北) 昭和30年6月10日のデーリー東北に、いかにも北東北らしい興味深い記事が載っていました。 舞台は軽米町にあった岩手県農業試験場九戸分場です。 Screenshot 当時の同分場では、トマト・ナス・ウリ類の苗をライ麦畑の中で育てるという栽培試験を行い、その成績が良好だったと発表しました。ポイントは、背… 続きを読む
c久慈・九戸郡 28 5月 1955 大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日) 昭和30年6月1日のデーリー東北より。 5月28日、ラジオ東京の録音班3名が、岩手県開拓課員の案内で、この辺大野村弥栄の八種開拓農場を訪問し、現場を録音した。 取材テーマは「開拓地の共同組織はなぜ潰れたか」と言うものであり、昭和22年から25年頃まで、当時九戸地方に見られなかった共同組織による機械化… 続きを読む