宗教

馬力大会で「農村タクシー」続々 a盛岡・岩手郡・紫波郡

馬力大会で「農村タクシー」続々

昭和27年9月16日の岩手日報より。 盛岡八幡宮の祭典が行われている時、近くの馬検場では県下馬力大会が開かれた。 農村からは「荷車タクシー」で押しかけたという。 各農家はもう収穫を待つだけの一休みの状態だった。 八幡宮の境内では、サーカス、女相撲、メリーゴーランド、民謡大会が開かれる盛況であったとい…
盛岡で祭りと言えば、八幡宮の祭典だった(昭和27年9月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡で祭りと言えば、八幡宮の祭典だった(昭和27年9月15日)

昭和27年9月15日の岩手日報では、八幡宮の祭典を「秋祭りの王者」として一面を写真に割いている。 山車や見世物小屋などが出て、八幡宮周辺はひときわ賑わったようである。 今でこそ「東北五大祭り」として盛岡からはさんさ踊りが出ているが、これは昭和53年からと比較的歴史が浅い。 盛岡では昔から、初夏のチャ…
わが町 わが村「平泉町」 i一関・西磐井郡

わが町 わが村「平泉町」

昭和27年9月5日の岩手日報より。 「わが町 わが村 戦後版」というシリーズ物の記事で、この日は平泉町。 昔も今も、もちろん令和でも岩手県で観光地といえば平泉・中尊寺となる。 しかし、戦中の修学旅行が禁じられていた時期は、ペンペン草が生え金色堂から雨漏りがする有様であったという。 それが戦後の復興と…
盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日)

昭和27年5月17日の岩手新聞より。 盛岡市日影門外小路(現在の盛岡中央郵便局の通り)の四ツ家教会で和装ながらカトリック式の結婚式。 記事では「牧師は厳かに式を進める」と書いているが、牧師とはプロテスタントの表現で、ここでは「神父」となるはず。 四ツ家教会は令和4年現在でもカトリック教会として現存す…
「四月馬鹿」(エイプリルフール)の起源とは?(昭和26年4月1日) m県外・参考

「四月馬鹿」(エイプリルフール)の起源とは?(昭和26年4月1日)

昭和26年4月1日の「夕刊いわて」より。 この時期「四月馬鹿」(エイプリルフール)は記事の表現をそのまま借りれば「罪ないウソで人を担ぎ、だましたとか、だまされたとかでこの一日はてんやわんや…」と定着しているようだった。 ではその「四月馬鹿」の起源は何か。 記事内では、以下のように解説している。 遠く…
小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日) b二戸・二戸郡

小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日)

昭和25年1月9日の新岩手日報より。 プロ野球では、リーグ分裂騒ぎとなっていたが、パシフィックリーグのほうに新たに誕生する。毎日オリオンズに福岡中学出身の小田野柏選手が入団することになった。 この小田野柏、長らく「岩手県出身のプロ野球選手」としてメディアなどに名前の出る存在となり続けるが、プロ野球選…
盛岡八幡宮の大祭の賑わい(昭和23年9月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡八幡宮の大祭の賑わい(昭和23年9月15日)

昭和23年9月16日の岩手新報より。 恒例の盛岡八幡宮の大祭が開催され、2日目の9月15日も8万人の人出でにぎわったという。 そして4台の山車が市内を練り歩き、八幡宮の近くの馬検場から自動車12台が思い思いの飾りで更新するという。 ちなみに自動車祭については以下のページ。    …
千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日) j東磐井郡

千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日)

昭和16年11月1日の岩手日報より。 葉タバコの産地として名高い東磐井地方では、紀元2600年を記念して「たばこ神社」を設立した。 そして水沢の駒形神社の宮司により、鎮座祭がおこなわれた。 現在でもなお、東磐井郡の観光スポットとして名前が上がっている。  …
自称坊主が自費出版「生きる力」を刑務所官舎で押し売りして御用(昭和14年7月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

自称坊主が自費出版「生きる力」を刑務所官舎で押し売りして御用(昭和14年7月18日)

昭和14年7月19日の岩手日報より。 7月18日の午前中、盛岡少年刑務所の官舎で、ヘルメットに法衣姿の自称坊主が、「生きる力」という自費出版を押し売りして歩き、官舎の主婦たちはそれぞれの旦那である所の刑務所看守に連絡してすぐに御用になったという。 この自称坊主は高知県幡多郡出身の男で、盛岡少年刑務所…
明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・ e釜石・遠野・上閉伊郡

明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・

明治神宮は明治天皇を祭る畏き神域。 その明治神宮で賽銭泥棒という大それた不敬をしでかした30歳の男は、岩手県のどこだかの街の出身だった。 郷里に住むその男の父親だけでなく、その町の町長までが東京に出て明治神宮でお詫び行脚である。 明治神宮の神域で不敬を働くということは、それほどの大それたことであった…
黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典 g北上・和賀郡

黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典

昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社である諏訪神社では9月7~9日の間、祭典が行われた。 黒沢尻の全町では紅白の幔幕を張ってお祝い気分である。 諏訪神社の境内に小屋掛けした見世物も盛況を博していたという。    …
川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) d宮古・下閉伊郡

川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日)

昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月3日のこと。小国村の早池峰神社の祭典の参詣者を満載したトラックが、江繋村との村境付近で、乗っていた34歳の酔っ払いが飛び降りた。 そうしたところ、次の車に滑り込む形になってしまい、ついには死亡してしまった。  …
平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが i一関・西磐井郡

平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが

昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では…
昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日)

昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 …
聖上の御脳安かれと盛岡市内各銀行の代表者が八幡宮で祈願(大正15年12月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

聖上の御脳安かれと盛岡市内各銀行の代表者が八幡宮で祈願(大正15年12月13日)

聖上(つまり大正天皇)は肺炎でご体調が優れず、葉山御用邸で病臥されていた。 それで、毎日の数時間おきの「御体温」「御呼吸」「御脈」が新聞の一面にて報道されていた。 そしてそれはラジオでも報道され、実際にラジオの契約件数が飛躍的に増加した時期でもあったのだという。 聖上の御快癒祈願は岩手県内でも行われ…
吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈願(大正15年12月11日)

肺炎で臥せっていた聖上(大正天皇)の御容態は、毎日このように新聞で報道されていた。 国民はこぞって聖上の平癒祈願を行っていた。 紫波郡飯岡村の飯岡尋常高等小学校生徒四百数十名は、吹雪の中を校長に引率され村社である秋葉神社で平癒祈願を行ったという。    …