昭和37年

水沢・岩谷堂の電話局に自動電話新架設900台(昭和37年4月6日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢・岩谷堂の電話局に自動電話新架設900台(昭和37年4月6日)

昭和37年4月6日の胆江日日新聞より。 電電公社岩手電気通信部では、水沢電報電話局と岩谷堂電報電話局の新庁舎完成に伴う自動電話取り付け加入数を検討中であった。 そのうち、水沢は789、岩谷堂は155の計944に決まった。 この時点で、水沢市内の加入数は1357、岩谷堂516で、これに新規申し込みを加…
江刺出身の前田川を激励する会(昭和37年2月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺出身の前田川を激励する会(昭和37年2月12日)

昭和37年2月19日の岩手民声新聞より。 江刺市稲瀬出身の前田川を励ます会が2月12日に江刺市役所ホールで開かれ、130人が集まった。 昭和37年の初場所では、東前頭6枚目で5勝10敗と負け越していた。 それでなくとも好不調の波の激しい力士だったようだ。 前田川は揃いの紋付羽織で威儀を正して参加し、…
県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日) h水沢・江刺・胆沢郡

県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日)

昭和37年2月5日の岩手民声新聞より。 前年来、本館建設など江刺唯一の総合病院として施設の充実を進めている県立江刺病院に、最新式のレントゲン撮影機1台と、胃を調べるガストロカメラ2台が導入されることになった。 レントゲンは島津製作所製で、購入額も2,800,000円と、旧式の2倍以上するものである。…
盛岡河川漁協が簗川でサケの稚魚の放流(昭和37年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡河川漁協が簗川でサケの稚魚の放流(昭和37年1月14日)

昭和37年1月14日の岩手日報より。 盛岡市神子田町(かつて市立病院があったあたり)の盛岡河川漁協は、簗川でこの年初めてのサケの稚魚の放流を行った。 前年の11月に北上川や簗川に遡上した親サケから採卵し、簗川で孵化した10万尾を放流したのである。 放流された稚魚は、群れを成して本流へ巣立っていった。…
岩手川「乾杯!ご成人おめでとう」(昭和37年1月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手川「乾杯!ご成人おめでとう」(昭和37年1月14日)

昭和37年1月14日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の酒造メーカーである「岩手川」は、昭和45年まで「浜藤酒造店」という商号であった。 酒造メーカーだけに新成人となれば潜在顧客がそれだけ増えるということになる。 それで、1月15日の成人の日を前に広告を打ったわけだ。    …
見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日) f花巻・稗貫郡

見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日)

昭和37年1月14日の岩手日報より。 花巻市高松地内の県道花巻-鱒沢線で、沿岸から来たトラックと花巻発遠野行きの花巻バスが正面衝突した。 見通しの悪い峠道であり、路面が凍結しているという悪条件もあった。 衝突により、バスの中の45名の乗客のうち35名が転び、3名は重軽傷。   現在でこそこ…
岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日) h水沢・江刺・胆沢郡

岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日)

昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市に本社のある岩手民声新聞は、昭和37年の元旦号で1000号を迎えることになった。 そこで、岩手県の県域紙であ岩手日報も祝福の広告を出していた。   ところで、上の「富める国アメリカは殺人、狂人が世界一多いのである」という物騒な記述は、社会党か…
空前のスキーブームで前年比1割増 a盛岡・岩手郡・紫波郡

空前のスキーブームで前年比1割増

昭和37年1月11日の岩手日報より。 写真は龍ヶ森駅 この年は「空前のスキーブーム」だったようで、龍ヶ森や八幡平といったスキー場は例年に比べ1割多い人出であったという。 盛鉄局調べでは、旧臘12月24日~1月5日の入り込み人員は以下の通りであったという。 八幡平 374人(+10%) ・・・ 東北地…
台所文化の女王!水道式自動洗米器(昭和37年1月8日) l全県

台所文化の女王!水道式自動洗米器(昭和37年1月8日)

昭和37年1月8日の岩手日報の広告欄より。 水道式自動洗米器の広告が出ている。 やはり米を研ぐというのはそれなりに手間を感じることだったようだ。 それで「自動洗米器」が出て「冬季でも冷寒を覚えず愉快に洗米できます」「指先の美は少しも傷つけずに洗米できます」というコピーが出てくる。 なるほど、生活も近…
4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日) l全県

4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日)

昭和37年1月8日の岩手日報より。 へき地の学校は人数が少なすぎて。2学年以上の児童・生徒を1人の教員が教える「複式学級」がかなり存在した。 岩手県の場合はこの時点で以下の通りだった。 小学校(599学級) 2学年受け持ち・・・396 3学年以上受け持ち・・・177 全学年受け持ち・・・26 中学校…