昭和50年代

大瀧詠一『君は天然色』 e釜石・遠野・上閉伊郡

大瀧詠一『君は天然色』

いきなり管理人の個人的な思い出を。 2013年の年末、盛岡に帰省していた時にニュース番組から〽くちびるツンととがらせて~ と大瀧詠一の『君は天然色』が流れてきた。 ニュース番組で何事? 「ミュージシャンの大瀧詠一さん、65歳が・・・」 ん??? 「東京都内の自宅で、解離性動脈瘤で亡くなりました」 何…
【参考】大平首相が現職のまま急死(昭和55年6月12日) 備考※1

【参考】大平首相が現職のまま急死(昭和55年6月12日)

大平首相は昭和55年6月以降、病に倒れ入院していたところ、6月12日に死去したのである。 これはあながち岩手県に関係無いニュースというわけでもなく、このことを受け自民党総裁の後釜を選出ということになり、鈴木善幸(山田町出身)が首班に選出されることになる。 https://youtu.be/Im1mQ…
【参考】中国残留孤児 備考※1

【参考】中国残留孤児

中日ニュースで昭和54年9月28日公開。 確かにワイドショーなどでは中国残留孤児が話題になっており、「黒竜江省」「遼寧省」「吉林省」と言った地名をよく聞いたものだった。 https://www.youtube.com/watch?v=JXP2X6O427A…
本州で最後の手動交換局・山根局が自動通話化(昭和53年12月13日) c久慈・九戸郡

本州で最後の手動交換局・山根局が自動通話化(昭和53年12月13日)

その昔、電話は「電話番号を押せばすぐに通話できる」というものではなかった。 まずハンドルを回して電話局の交換手につなぎ、相手先の電話局と番号を言って交換手につなぐ作業をしてもらう。 その間、いったん電話を切る。 そして向こうがつなぐ作業が完了したら、交換手から電話がかかってきて「お話しください」とな…