盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(S2.1.9岩手日報)

大正天皇の崩御にともない、昭和元年が始まったのは1926年12月25日。いわゆる「諒闇(りょうあん)」の中に幕を開けた新時代でしたが、その静かな幕開けのなかでも、盛岡市内ではすでに24人の新生児が誕生していたことが、昭和2年1月9日付の『岩手日報』で報じられています。

その24人のうち、12月26日生まれの赤ちゃんだけで「和子(かずこ)」ちゃん、「和一(かずいち)」くん、「昭一(しょういち)」くんといった、元号にちなんだ命名が複数確認されていたそうです。まだ年の瀬も押し詰まった中で、いち早く新元号に希望を託した親たちの思いが感じられます。

新聞は「つい最近まで大正っ子なんて言って新しがっていたのに……」と記し、時代の移り変わりの早さと、それに合わせて生きていく人々の心の機微を伝えています。

名前に「昭」や「和」を冠することは、単なる流行以上に、平和や希望、そして新時代への適応といった意味を込めた選択だったのかもしれません。

静かな年の瀬のなかに生まれた「昭和っ子」たちは、やがて激動の時代を生き抜いていくことになりますが、この命名には、親たちのささやかな祈りが確かに込められていたのでしょう。


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