岩手県から3人目の総理大臣に、米内光政生家の近隣住民も盛岡弁で喜びを語る(昭和15年1月15日)
1940年1月15日
2022年1月16日
昭和15年1月15日の岩手日報より。
何しろ岩手から3人目の首相が選出されたことに地元は大歓喜である。
そもそも、前任の首相・阿部信行のミッションが日中戦争の収拾であり、それがうまくいないなかったということは周知の事実だったようである。
そして後任は同じ陸軍の畑俊六陸相がなるのだろう。
「銃後民衆の何等の興味も関心も惹かずにスルスルを引き継がれる」・・・と明確に書いている。
銃後の国民はそのような冷めた目で見ていた所へ、突然の「米内内閣」の誕生であった。
盛岡市八幡町で幼友達だった石工は岩手日報のインタビューに、
「別にお話しする事もながんすてぁ」とそっけなかった。
しかし女将さんは大喜びだったようだ。
「ハァそうでござんすか。それァおめでたがんす。お母様がなんぼがアヤヤ・・・ そういえば今晩古いキングを読んだら米内さんの議会答弁のことが出ておりぁんしてね、話していたとこでござんしたよ。
去年の正月に私が東京の渋谷の本宅に伺った時、その時は子供と2人で行ったのでしたが、主人はどうしたのと仰るので大臣さんが総理大臣におなりになった時には伺いますと申し上げてきましたが、本当にもう総理大臣でござんすかアヤヤヤヤ」
その向かいの61歳の老爺は、
「光さんが総理大臣にね、ホオッ、ホオッ、ホオッ(前歯が2本しか残っていない)。
今度は光さんが総理大臣だというので、私は、私を喜ばせるんでがんすか、と言ったら、いゝやそうじゃない重臣方面でそういう声があるということでござんしたナッス」
そこへ近所の55歳の男性は、
「ゆっくる手紙でお祝いしぁんすべ、急いだとて同じごどで御座んすから」