真珠湾攻撃のニュースを聞いた岩手では(S16.12.9新岩手日報)

【昭和16年12月9日】「血沸く110万県民」真珠湾攻撃、翌日の岩手

新岩手日報の紙面から紐解く、開戦前夜の記憶

1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃。その衝撃的な第一報を受け、翌9日の『新岩手日報』は、紙面全体から熱気が立ち上るような特別な高揚感に包まれていました。

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当時の岩手県民は、この歴史的転換点をどのように受け止めたのか。貴重な紙面を読み解きます。

歴史の幕明けさあ開く「決死奉公仕らん」

紙面中央には、現代では考えられないほど扇情的な大見出しが躍っています。

  • 「歴史の幕明けさあ開く」
  • 「百十万県民の血沸る(ちわき)」
  • 「決死奉公仕らん」

不意の開戦に動揺するのではなく、むしろ「ついにその時が来た」という、県内全域を覆う緊迫した覚悟がこの言葉に凝縮されています。

神域に響く「熱禱」:盛岡八幡宮・岩手護国神社

記事の中でも特に注目すべきは、開戦の報に接した市民たちが、真っ先に「祈り」へと向かった様子です。

「社頭必勝祈願の熱禱(ねっとう)」という見出しが伝えるその光景は、凄まじいものがありました。

早朝から盛岡八幡宮岩手護国神社の境内は、勝利を祈る参拝客で埋め尽くされました。雪混じりの寒風が吹く中、老若男女が神前に額づき、必勝を誓う「熱い祈り」を捧げたと記されています。

特に地元の学生たちの動きは早く、記事には「岩商(盛岡商業)が先頭切る」との記述もあります。若者たちが、学校を挙げて真っ先に神前で決意を新たにした姿が浮き彫りになっています。

「最後の一人まで」銃後の決意

紙面右側には当時の山内知事や村上司令官の談話が掲載され、県民に対し「落ち着いて事に当たれ」と説きつつも、軍への絶対的信頼と協力が強調されています。

政府の「決戦閣議 僅か十五分!」というスピード決定を称賛する論調からも、国を挙げて戦争へと突き進む当時のメディアの姿が確認できます。

あとがき:
12月の凍てつく盛岡で、白い息を吐きながら八幡宮に集まった当時の人々の心中を想います。この熱狂の先にどのような未来が待っていたのか、私たちは知っています。だからこそ、この一枚の古い新聞が伝える「あの日」の空気感は、私たちに多くのことを語りかけてくるのです。


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