昭和20年8月17日の岩手日報より。
この当時、高村光太郎は、岩手県花巻町の宮沢賢治の弟の家に疎開をしていた。
そこで終戦を迎えることとなり、新聞に詩を寄せたのである。
さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日)
盛岡にはびこる偽のヤミ米摘発隊(昭和21年6月12日)
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