進駐軍岩手軍政部「米を超過供出したら米軍物資を売ります!」(S23.11.6岩手新報)

【戦後秘話】「ノルマを超えたら米軍物資を」岩手軍政部が放った驚きの“ご褒美”作戦

終戦から3年。食糧難が続いていた昭和23年(1948年)11月5日、岩手の農家を驚かせるある「通知」が届きました。

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今回は、当時の新岩手日報(昭和23年11月6日付)の記事から、戦後日本の切実な食糧事情と、進駐軍によるユニークな政策の裏側を紐解きます。


🌾 「供出」を促進せよ!軍政部の切り札

当時の農家には、収穫した米を国に納める「供出(きょうしゅつ)」の義務がありました。しかし、自分たちの食べる分すらままならない時代。供出のノルマ(割り当て)達成は、農家にとって非常に厳しい負担でした。

そこで、当時の岩手教育会館に拠点を置いていた進駐軍岩手軍政部が発表したのが、この記事にある驚きのニュースです。

「アメリカ物資が買える」
穀類の超過供出者に朗報

なんと、「割り当てられたノルマ以上に米などを供出した農家には、アメリカの物資を優先的に販売する」という、いわば“ボーナス制度”を打ち出したのです。

👢 気になる「ご褒美」の中身とは?

記事をよく見てみると、農家のやる気を引き出すために用意された物資のリストが載っています。当時の人々にとって、これらはどれも喉から手が出るほど欲しい「超高級品」や「実用品」ばかりでした。

カテゴリ 物資の内容
衣類・靴 シャツ、ズボン、セーター、スカート、靴下、靴
生活雑貨 石鹸、タオル
資材 自転車用タイヤ・チューブ(※当時は超貴重品!)

特に自転車のタイヤは、農作業や運搬に欠かせない移動手段の要。これらが手に入るとなれば、農家の皆さんが色めき立ったのも頷けます。

💹 インフレ抑制と「飴」の政策

この政策の狙いは、単に食糧を集めるだけではありませんでした。記事内では「インフレを克服することにもなる」と説明されています。

  • 食糧確保: 都市部の深刻な食糧不足を解消する。
  • インフレ防止: 農村に物資を正当に供給することで、闇市場への流出を防ぎ、物価を安定させる。

まさに「飴と鞭」の「飴」を提示することで、戦後の混乱を収拾しようとした軍政部の戦略が見て取れます。


📜 おわりに:岩手の歴史の1ページとして

今の時代から見れば「ノルマを超えたら買い物が許可される」というのは不思議な感覚ですが、それほどまでに当時の日本はモノがなく、そして「アメリカの物資」は輝いて見えたのでしょう。

岩手教育会館という身近な場所に、かつてそんな「指令の源」があったと思うと、街の風景も少し違って見えてくる気がします。

皆さんのご実家や近所のおじいちゃん・おばあちゃんから、当時の「供出」や「アメリカさん」にまつわる思い出話を聞いたことはありませんか?


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