盛岡の商家女中による殺人放火事件(昭和31年2月7日)

昭和31年2月の7日に日が変わった2時頃のこと。

擬宝珠で有名な下ノ橋のすぐ近くの鷹匠小路にある広壮な商家が火事になっている!

あまりに火の回りが早く、とても消すことはできなかった。
それでも隣の自転車店に類焼しただけで、大火には至らなかった。

その商家からは、女将と高校生の次男が遺体で発見された。

あとは医者をやっている長男と、女中がいるはずだがその2人は?
長男の方は離れに寝ていて逃げ出して無事だった。
では女中は?

朝、警察が来て検証してみると、その女中部屋に石油缶が残っており、どうも女中部屋が火元のようだ。
そして死んだ女将と次男はマサカリで頭を割られていた。明確に殺人である。
そして何より、女中が行方不明になっているのだ。

女中を追え!

ところで、その女中にトラブルはなかったのか?
そういわれてみると、十分にその目はあったようだ。

まず、女将も女中も相当に勝気な性格で衝突も絶えなかったようだ。
そして、長男に縁談話が持ち上がっており、嫁を迎えたら女中に暇を出そうということになっていたようである。
そしてそのことに対し、女中は「本当は辞めたくないんだけど・・・」と愚痴をこぼしていたという。
動機としては充分だった。

・・・というか、令和の今の感覚からすればだが「嫁が来るから女中に暇を出す」ということ自体どうなの?
嫁というのは単なる無償労働力?
女中の雇用は保証されない?
この昭和31年に現在の「フェミ」がいたら、この商家自体がネットでも「炎上」していた可能性はある。

それはともかく、女中はいったいどこへ逃げたのか。
あるいは自殺したのか?

 

その女中が捕まったのは、2日の9日の午後、秋田県境に近い湯田村の湯本温泉の旅館であった。
その経緯は以下の通りとなる。

2月8日、吹雪の日の夜6時になろうとしていた時のこと。
1人の女客が泊めてほしいと来た。
部屋に通して夕食を出したが、夕食も食べず、そして温泉地であるにも関わらず風呂にも入らずその女客は寝てしまった。

帳場で女将や女中の話題に上がる。
「なんかおかしないお客さんだごど」
「まさがどは思うども新聞さ出でだ盛岡の放火事件の女中でねえべが?」
「ああ、んだごった! 顔も似でる!」

そして湯本駐在所への警察への通報となった。

翌日、陸中川尻の派出所からも警察官の応援が来て、いよいよ手配書との首実検となった。
例の女客は確かに似ている。

そして9日午後3時ごろ、逮捕となった。

当時「横黒線」と呼ばれていた北上線で陸中川尻駅(現在のほっとゆだ駅)から北上に送られ、北上からはジープで盛岡警察署まで送られてきた。

 

動機を聞くと、やはり「女将につらく当たられていたこと」であった。
戦前の昭和13年の時点で、女中の待遇に関しては問題視されていたのだが、戦後になりリベラルな世の中になっても何も変わっていたなったのである。

「病気で働けない」と言うと「なら無駄に食事するな。何なら出てけ」みたいなことを言われ続けていた末のことであったという。

盛岡市内のある弁護士は、
「女中は馬鹿でもなれる仕事だと蔑まれやすいが、もう少しいたわりの目を持ってもいいはずだ。女中組合を作ってもいい」
と、今でいうリベラルなコメントをしていた。

これに対し、盛岡市内のある女医は、
「異常性格としか思えない。嫌なら出ていけばいい。3度も結婚して別れるような性格ならそのくらい難しいことでもなかったでしょうに」
と、現在の保守系の女性に連なる辛辣なコメントであった。

 

女中は、その年の7月11日に盛岡地方裁判所で無期懲役の判決が下った。

 


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